(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2017年07月22日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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生駒郡斑鳩町龍田南 片桐氏と龍田城〔龍田藩〕


奈良県生駒郡斑鳩町龍田南に鎮座する「片桐(かたぎり)氏と龍田城(たつたじょう)龍田藩(たつたはん)〕」です。

高台のようになった地形で眼下に見えるのは龍田川と県立竜田公園だという事です。

この地には龍田観音(たつたかんのん)もあります。

当初は遊具のある公園にしては広いなと思っていたのですが、城跡という事で納得の地形です。


片桐(かたぎり)氏と龍田城(たつたじょう)龍田藩(たつたはん)

初代藩主片桐(かたぎり)且元(かつもと)(1556 - 1615)は、豊臣秀吉に仕えた武将。

天正十一年(1583)賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで功績をたてた「七本槍」の一人に数えられ、その名を知られている。

関ケ原の戦いの後、慶長六年(1601)大和に二万八千石の大名として入り、龍田村陣屋を構えた。

京都・方広寺鐘銘事件で大坂を退去し、豊臣氏が滅んでからは、さらに加増を受け四万石の大名となった。

明暦元年(1655)為次の没後跡継ぎがないため、且元(かつもと)より数えて四代(1694)で廃城となった。

龍田川の東一帯の高地が城跡で、「広間」と呼ばれているのは本丸跡らしく北へ屋敷跡が広がり、堀が縦・横にめぐらされ規模は雄大であったらしい。

龍田3丁目と5丁目の境をなす国道の部分は堀跡の一部を埋めたものらしい。

城郭の東を「花畑」と呼ばれ、今もこの周辺は「追手」(大手・城の正面の意味)と呼ばれており、表門が北に面していたらしい。

この城跡付近には「清左衛門屋敷」・「下町」・「東町」などの地名が残り往時をしのばせている。』

境内掲示より


地形的には守りは堅そうです。

良い立地だったのでしょうね。

秋には素晴らしい風景になることでしょう。


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【城跡・城址】