
奈良県奈良市古市町に鎮座する「奈良県護国神社」です。
英霊を祭る護国神社は各地にあるのですが、過去に訪問した護国神社は規模も大きなところが多かったのですが、ここも御多分に漏れずというところです。
広大な境内は驚くばかりですし、鳥居からの参道の社叢は素晴らしいの一言に尽きます。
奈良県護国神社〔周辺史跡〕の境内や周辺の歴史情報です。

『奈良県護国神社
御祭神
明治維新以来大東亜戦争までの国難に殉ぜられた奈良県出身の英霊二万九千二百四十三柱を祀る。
維新・日清・日露戦争 千二十二柱。
一次世界大戦・満州事変 百十九柱。
大東亜戦争 二万八千六十八柱。

由緒
鎮座地 奈良市古市町
以前は春日の飛火野において御霊を招魂して慰霊の祭りをしていたが、昭和十七年(1942)に、この地に竣工鎮座し、御霊を祀って護国神社となった。
大東亜戦争敗戦後に一時付近の地名よりとって、高円神社と改称されたが、独立回復によって元の奈良県護国神社に復した。
当社の北部 高円の野の史跡・伝承

聖武天皇の高円離宮址
高円離宮の所在地について、古来諸説があったが、昭和五十六年に高円高校の建設工事の際に出土した遺跡が、離宮址とされた。
往時の大宮人が游宴し、天平文化の華を咲かせた。
後に大伴家持ら万葉歌人が宮の荒廃を嘆き、更に聖武天皇への想いをはせて詠んだ万葉歌五首が秀歌として著名である。
万葉集故地
天平の昔、大宮人などが遊宴狩猟し詠んだ万葉歌は付近に四十余首が残る。
とりわけ志貴皇子「岩走る垂水の上のさわらびの萌え出ずは春になりにけるかも」の歌は、万葉集中の秀歌として、いましもなお多くの人に愛誦されている。
志貴皇子の春日宮は現白毫寺の地にあったとされる。

岩淵寺址と妖怪伝承
高円高校の東部に千坊の大寺があったと伝わり、その所在地は不明であるが、岩淵の字名が残り、今昔物語に美女妖怪の諸説が伝わる。
それは岩淵寺に夜な夜な現れる美女の亡霊の訴えを吉備真備が聞き、その墓にまつわりつく大蛇を念仏によって退散させて亡霊を浄仏させたという伝承である。
教育大の建物内に吉備塚がある。
山の辺の道に、悲哀影媛物語が伝わる。』
※ 境内掲示より
凄いですね。