
奈良県高市郡明日香村橘にある「真言宗豊山派 弘福寺〔史蹟 川原寺蹟〕」です。
弘福寺の門の脇の石標に「史蹟 川原寺蹟」と彫られています。
頭の中が「?」で大混乱です。
門前に建物の壇のようなものがあるのですが、これのことでしょうか。

向かいは橘寺です。
とにかく昼時で周辺に食事のできそうな場所も無く、運の良いことにここでありつけることが解りました。
高校3年生(1973)の時にサイクリングで談山神社から石舞台古墳経由でこの周辺にも来ているのですが、記憶を辿っても良く思い出せません。
桜井から談山神社の上りを自転車を押してへとへとで、下りは道路が無くてハイキングコースを無理矢理下ってきたのでそのことの方が記憶に残っています。

川原寺蹟史跡の脇にドングリが山のように落ちていて、娘が拾っていたのが記憶に有ります。
いずれにしても土地勘も無い上にサイクリングマップのイラストでは位置取りも出来にくく、道標も殆どないので辿り着くのに苦労しました。
ここも通りかかってうどんの幟でやってきたようなことです。
天皇陵も山との境も解りにくいですし、明日香村(飛鳥)の観光なんて土地勘のある人にしか出来ないという事でしょうか。
入鹿の首塚の前で、単車のツーリングで来た人に「これが首塚」って聞かれたのですが、「そうやと思う」と言いお互いに笑ったことも原因は同じだと思うのですが、改善されるのでしょうか。