(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2017年02月04日】

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奈良市矢田原町 春日宮神社


奈良県奈良市矢田原町に鎮座する「春日宮神社(かすがわかみやじんじゃ)」です。

「かすがみやじんじゃ」か「かすがのみやじんじゃ」と読むと思っていたのですが、奈良県神社庁の情報では「かすがわかみやじんじゃ」となっています。

そういえばここから北東方向には、春日宮天皇陵(かすがのみやてんのうりょう)田原西陵(たはらのにしのみささぎ)があります。

更には『志貴皇子(しきのみこ)施基皇子(しきのみこ)』とまだ他にもの表現もあり、漢字で特定する事は難しいのが現実です。

どうやら「古事記」や「日本書紀」などが、漢字を音で充てていたという事が原因のようです。


春日宮神社(かすがわかみやじんじゃ)

祭神 志貴皇子(しきのみこ)

   (春日宮天皇と追贈)第四十九代光仁天皇の御父

   霊亀元年九月 御逝去(仝二年八月説もある)

本社の由来

もとは、現在地の北方約八百米、親王山の北端ミヤイナバに祀られていた。

当時、この地は春日宮天皇の御大葬儀が行われたといわれ、ここを神社として奉斎していた。

しかし、年毎の災いに見舞われるのは神社の位置が集落よりも低地であるが故にと推し量り、慶長年間に当地へ移したと伝えられている。

以来、この大宮を静宮の常宮として祭祀を行っている。

境内の燈籠 (九基備える)

 喜吉燈籠 石造、総高五尺九寸五分

     棹部 刻銘喜吉二年五月吉日(1441)

 分銅型燈籠 石段の両側にある。裾の部分の立石が珍しい。

志貴皇子(しきのみこ)の時代背景と御歌

志貴皇子(しきのみこ)は天智天皇と采女(うねめ)越前君伊羅都売(こしのみちのきみのいらつめ)の間に生誕される。

天智天皇には四人の皇子があったが、皇位継承をめぐる「壬申の乱」で川島皇子をなくされる。

後の天武天皇の世には志貴皇子(しきのみこ)は政治の中枢より離れられた。

飛鳥浄御原宮から藤原京(ふじわらきょう)へ、そして平城京(へいじょうきょう)の東端春日野南方(高円山の麓)に住まいされた。

志貴皇子(しきのみこ)は万葉集歌人として有名である。

「万葉集」には六首が収録されているが、その中の二首は正面の両側に刻まれている。

いずれも流麗で明快な歌である。』

※ 境内掲示より


個人的には良く解りませんが、平城京(へいじょうきょう)東端という表現があるのですが、奈良盆地から見ると相当な距離と傾斜のある道を登って来たこの地に古墳があることが少しばかり引っかかります。

他にも「光仁天皇陵」や「大安麻呂の墓」も存在します。

何回か訪問を試みたのですが、未だに辿り着いていないのです。

現在でも辿り着きにくいのに昔の人は本当にこの地を相応しい地として選んだのでしょうか。

少しばかり混乱しています。