
奈良県奈良市古市町に鎮座する「穴栗神社」です。
繰り返し近くの道路を通っていて奈良交通バスの「穴栗神社」という停留所があるのは解っていたのですが、神社が鎮座しているのが東側か西側か解りませんでした。
今日は近くに用事があったので事前に位置を確認して参拝することが出来ました。
西側の住宅が立ち並ぶ方向にあると思っていたのですが、東側に鎮座していました。

『穴栗神社(伊久里の杜)
奈良市横井
御祭神
伊栗社(太玉命)
穴栗社(高御産霊尊)
青榊社(青和幣)
辛榊社(白和幣)

この神社の鎮座する地は、古く「日本書紀」景行天皇(第十二代)の条に「春日穴咋邑」と出てくるところです。
神社の名を穴栗・穴次と書くものもありますが、春日大社の記録によると、平安時代に、この地から穴栗・井栗の神が春日大社に勧請(分霊)されたと書かれています。
境内にある元禄四年(1691)建立の社号標石にも「穴栗四社大明神」とあり、穴栗は古くからの呼び名です。
現在、穴栗神社は、横井東町の氏子がお祀りしています。

「萬葉集」に
妹が家に 伊久里の杜 藤の花 今来む春も 常かくし見む
― 高安 王―(巻十七‐三千五百九十二)
と詠まれている「伊久里の杜」は、井栗の神を祭っていた、この地です。
歌は、天平十八年(746)八月七日に、越中守大伴家持の館での宴の場で、玄勝というお坊さんが伝誦したものです。

作者の高安 王(大原高安)は、天武天皇の皇子長親王の孫にあたり、奈良の都の人です。
「恋しい人の家に通っていく伊久里の杜に咲く藤の花よ、まためぐってくる春にも、いつもこのように眺めていたいものだ」と詠んでいる作者は、藤の花の咲くころ、このあたりを通って、恋しい人のもとを訪ねたのでしょう。
境内の萬葉集歌碑は、平成十五年五月に、平城萬葉教室と横井東町自治会の協力によって建立されました。
「伊久里の杜」萬葉集歌碑建立実行委員会』
※ 境内掲示より
社叢の杜は、なかなかの規模です。