(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年10月22日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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橿原市大谷町 畝火山口神社


奈良県橿原市大谷町に鎮座する「畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)」です。

神社の号名に惹かれて狭い集落内の道をうろうろと探しながらようやくたどり着きました。

村落から狭い道を辿るアクセス経路が少しばかりの土地勘ではなかなか辿り着けない理由なのかもしれません。

自転車で回るのが良さそうです。


『式台大社 畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)

祭神

  気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

  豊受比賣命(とようけひめのみこと)

  表筒男命(うわつつのおのみこと)

飛鳥・奈良時代から朝廷の尊崇篤いと伝承されている当神社が記録に見えるのは大同元年(806)「新砂勅各符鈔」に神封一戸を寄せられたとあるのが最初である。

貞観元年(859)正五位下を授かり延喜の制では明神大社(みょうじんたいしゃ)として官幣及び祈雨の幣に預かったことが「三代実録」に、又、延喜式祝詞に皇室の御料林守護の為、山麓に山神の霊を祀るとあり、大山祇命(おおやまつみのみこと)を御祭神としていたことが伺える。

文安三年(1446)「五郡神社誌」に畝傍山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)、在久米郷畝傍山西山尾とあり、当寺は西麓にあったとされている。

天正三年(1575)の畝傍山古地図では山頂に社殿が描かれており、この間に山頂へ遷座されたことが明らかで口碑に当時の豪族越智氏が貝吹山に築城の際、真北に神社を見下ろすことを恐れて山頂に遷座したとあるのと符号する。

「大和名所図絵」にも昔畝傍山腹にあり、今山頂に遷す祭る所、神功皇后(じんぐうこうごう)畝火大明神(うねびだいみょうじん)神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮出兵の際、応神天皇(おうじんてんのう)

主神であった大山祇命(おおやまつみのみこと)を境内社に祀り、本殿に氣長足姫命(おきながたらしひめのみこと)豊受姫命(とようけひめのみこと)表筒男命(うわつつのおのみこと)の三神を奉祀したのもこの頃かと思われる。

神社名も畝火坐山口神社(うねびざしますやまぐちじんじゃ)から畝火明神(うねびみょうじん)畝火山神功社(うねびやまじんぐうしゃ)・大島山などと呼ばれてきたが明治に入って旧郷社「畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)」と定められ俗にお峯山と呼ばれて来た。

現在の社殿は昭和十五年皇紀二千六百年際で橿原神宮(かしはらじんぐう)神武天皇陵(じんむてんのうりょう)を見下し神威をけがすということで当局の命により山頂から遷座した皇国史観全盛期の時勢を映した下山遷座であった。』

※ 境内掲示より


参拝していても遷座を繰り返した神社だとは思えないくらい神が鎮座するにふさわしい場所であるとしか感じられません。

大和三山の畝傍山の山頂に登ってみたいと勝手に思っているのですが、説明書きを読んでいると失礼に当たるという事でしょか。

橿原市木原町の耳成山にも耳成山口神社(みみなしやまぐちじんじゃ)と橿原市山之坊町にも山之坊山口神社(やまのぼうやまぐちじんじゃ)と同じような号名の神社が鎮座していました。

天香久山周辺には地図などで見る限りないのですが、理由はあるのでしょうか。


関連情報レポートリンク

【奈良県橿原市 神社一覧】