(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年10月13日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

橿原市久米町 久米御縣神社


奈良県橿原市久米町に鎮座する「久米御縣神社(くめのみあがたじんじゃ)」です。

畝傍山の南麓に鎮座する橿原神宮(かしはらじんぐう)から畝傍山の南から西に回り込んで見ました。

鳥居を見つけて久米御縣神社(くめのみあがたじんじゃ)が在るのを知って参拝しようと車を停める場所を探して直進すると久米寺(くめじ)門前に出ました。


久米御縣神社(くめのみあがたじんじゃ)

橿原市久米町宮ノ谷

祭神

高皇産霊命(たかみむすびのかみ)(天地開闢の時、高天原に出現した神))

大来目命(おおくめのみこと)(大和朝廷の軍事を掌った久米氏の祖神)

天串根命(あめのくしねのみこと)(久米氏の祖神と関係深い神)

このじんじゃは『延喜式神名帳(927)』の「高市郡式内社小社」に載る「久米御縣神社(くめのみあがたじんじゃ) 三座」にあたる。

創建はあきらかではないが、来目(久米)に関わる伝承は『古事記』『日本書紀』も神代までさかのぼり、神武東征の伝説に八咫烏(やたがらす)の導きで大和入りする時に活躍し、その功により、「大来目シテ、畝傍山、以西ノ川辺(かわのへ)ノ地に(はべ)ラシム、今、来目邑と号く。」との記載がある。

『日本書紀』(第十一代天皇)垂仁二十七年記」に「屯倉(みやけ)を来目邑に興す」とみえ、久米村の地に王家の米倉がもうけられており、久米氏の祖神として奉斎されたこの神社はかなり古い時期にまでたどることができる。

久米氏の退潮により神社も衰えたが、のちに同地に建立された久米寺(くめじ)の寺域の一画に、鎮守として天神社(てんじんじゃy)または久米宮(くめみや)が創建された。

以後、平安時代から江戸時代まで、西座・東座・九月座の宮座が中心となり奉斎されてきた。

明治元年(1868)寺社の混同が厳禁となり、全面的に神社は久米村により奉斎され、創建当初の久米御縣神社(くめのみあがたじんじゃ)と改めた。

例祭は十月十五日であったが、現在十月の第二日曜日となっている。

尚本殿に向かって左の境内社は、誉田別命(ほんだわけのみこと)天児屋根命(あめのこやねのみこと)大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)を祀り、向かって右は熊野神社(くまのじんじゃ)伊弉冉尊(いざなみのみこと))を祀る。

また、境内地樹林のなかに臥龍石と称する巨石があり干ばつの時、これを動揺すれば降雨があるとの伝説を伝える。

(注)

御縣(みあがた)  朝廷の直轄領

屯倉(みやけ)  朝廷の御田からの穀類を蔵する倉庫

延喜式神名帳  九百二十七年に朝廷の制度を記された書物。その中に全国の神名が記される。』

※ 境内掲示より


再訪問する必要が有りそうです。


関連情報レポートリンク

【奈良県橿原市 神社一覧】


関連情報レポートリンク