(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年08月20日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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奈良市柳生町 摩利支天碑


奈良県奈良市柳生町にある「摩利支天(まりしてん)碑」です。

柳生八坂神社(やぎゅうやさかじんじゃ)の周辺を散策していて少し有名らしい菖蒲園を探してたら、道標が目に止まりました。

丘という表現が正しいのか解りませんが、円錐状の地形の頂上へ続く道が有るので景色も見えるだろうと登り詰めたところに存在しました。

摩利支天(まりしてん)」は武士が信仰していたという事ですが初めてです。


柳生の摩利支天(まりしてん)山の沿革

柳生、時によっては地名であり、武道の一派であり、一族の姓である。

それぞれの趣で知られている。

柳生石舟宗厳は、上泉伊勢守信綱から新陰流を学び「無刀切り」を会得、柳生新陰流として印可を受け継いだ。

石舟斎宗厳の五男、但馬守宗矩は徳川三代の兵法指南役と共に柳生藩の大名(一万二千五百石)となる。

江戸幕府の大名付となり、「天下治国の剣」を大成させ、江戸時代三百年の基「武士道の精神」を固めた。

宗矩の長男柳生十兵衛三厳は柳生正木坂の剣禅道場で一万三千人余りの剣士を養成し全国に広め、その書「月の抄」を書き残した。

その弟、飛騨守宗冬は柳生藩大名となり、徳川家綱の兵法指南役となり、柳生八坂神社(やぎゅうやさかじんじゃ)を造成し石の鳥居を寄進し、その横の丘に武道の守り神である摩利支天(まりしてん)を祭った。

今は祠はないが、この山を摩利支天(まりしてん)山と呼び、その山頂に摩利支天(まりしてん)の石のレリーフを復元し記念とした。

平成十九年四月吉日

柳生観光協会』

※ 境内掲示より


確かに周辺の見通しは悪くありません。