(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年07月11日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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奈良市柳生町 柳生陣屋敷跡


奈良県奈良市柳生町にある「柳生陣屋(やぎゅうじんや)跡」です。

コンクリート製の階段が丘の上方に向かって伸びていましたので、勝手に柳生八坂神社(やぎゅうやさかじんじゃ)が上部に鎮座していると思い込んで登っていました。

墨書きの説明書きがあるのですが「柳生陣屋跡」という文字の他は殆ど消えかかっていて読み取りが困難です。

コンクリートで固められた急な階段は何となく上に何かあるぞと私に語りかけていたので汗をかきかき登ったのですが、公園か何かの史跡と思っていました。


柳生陣屋(やぎゅうじんや)

柳生は剣豪の里である。

柳生陣屋(やぎゅうじんや)跡をはじの家老屋敷、柳生家墓地や芳徳寺に保存されてる数々の宝物に剣豪のありし日をしのばせている。

柳生陣屋(やぎゅうじんや)は柳生新陰流を生み出した宗厳(石舟斎)の子宗矩が亡父宗厳の菩提を弔うため芳徳寺を建て、ひきつづき三年の歳月を費やし、寛永十九年この地に建築されたものである。

「柳生藩日誌」によるとその坪数は3百坪(4534㎡)、表は竹の杖門であったと記されている。

その後、宗冬により、増築整備されたが延享四年(1747)の火災により全焼し、仮建築のまま昭和の明治の廃藩により姿を消した。

奈良市では、この柳生陣屋跡を庭園文化研究所長森●工学博士の調査・設計により公園として整備したものである。

昭和五十五年六月

奈良市』

※ 境内掲示より


旧道の入口側には「摩崖仏」があります。

神社仏閣や史跡や旧跡を廻っているうちに、素晴らしい建築様式の神社の本殿や拝殿などにも感じるものがあり、芸術性の高い仏像には心酔していて、素朴な磨崖仏の素晴らしさも好きになって来たのですが、史跡に復元図があっても、知識が乏しいと想像するにも難く、只の空き地にしか見えない場合には、「何?」という事になりかねません。

古墳にしても一部が復元された八尾市大竹のが心合寺山古墳(しおんじやまこふん)を訪問するまでは、環濠のある場合は木の生えた中の島がある程度の感覚でした。

板に絵を描いた簡易な物でも良いので復元して貰えると私のような知識足らずにとっても解りやすいと思うのですが如何でしょうか。

私には態々設計した公園には見えませんでした。

「残念」