
奈良県奈良市下深川町に鎮座する「春日神社」です。
神野山から名阪国道の北側の山中を彷徨うような感じで土地不案内の中で西へ進んで来ました。
殆ど自分のいる位置が良く解らないまま進んで来たのですがこの神社に辿り着いて少しばかり何処にいるかはっきりしそうです。
丁度、田植えの時期で農家の方々が忙しく動き回っていました。

『春日神社
奈良興福寺大衆院の荘園であった下深川の下司深川氏は春日若宮社祭祀の願主を勤めた実力者であった。
南北朝時代、至徳三年の文書に大衆院領下深川庄と記され深川氏が春日社を勧請したものと思われる。
山内に勢威を振った深川氏に依って社殿は整備され今尚末社若宮社(天忍雲根命)参籠所、西へ伸びている長い参道、朱塗りの大鳥居等々、城山の遺跡と共に深川氏當時の旧観を止めている。
江戸時代に於ては藤堂藩の大庄屋、小橋氏が四代続き神事滞る事なく境内の能舞台では神事能楽が江戸時代末期迄奉納されたと伝えられる。

社頭にある石燈籠に享保十八丑年九月一日、小橋慶利とあり、
社宝、宝剣一振りも四代目大庄屋彦四郎慶利の奉献である
銘 元禄四辛未年三月十日と有り
春日社を勧請して祀られて数百年 祭典も宮座の行事も時代と共に移り変り、明治十二年十一月に改正された氏神記に依ると春日大明神四社と若宮一社の造営について記され安永四年時の庄屋小橋丹治が記録帳を作って、明治十一年迄百四年間に亘って継承されて来た祭典宮座の件は村の協議に依って改正すると記されているのみで記録は残っていない。
尚戦前には旧針と別所村唯一の指定村社として秋の例祭には村長自ら幣帛料を奉典された。

宮財産として田地等五反歩余のあったが、その年貢米の使途についても戦后国家神道の廃止と農地開放に依って古い記録の全てが残されていない。
(以上、都祁村史による)
然し是時、平成二年三月三十一日
御造営のみぎりに當神社の歴史をふり返り、あらためて敬神の心得をもちたいものである。
春日神社社務所』
※ 境内掲示より
山深い中にこれだけ美しい建物が鎮座しているとは驚きです。
崇敬者の篤い信仰が伝わってきます。