(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年08月15日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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天理市櫟本町 柿本寺跡


奈良県天理市櫟本町にある「柿本寺(かきもとじ)跡」です。

和爾下神社(わにしたじんじゃ)の境内に柿本寺(かきもとじ)跡があります。

古墳に神社が同居しているのは今まで訪問した中にも数多くありました。


柿本寺(かきもとじ)

創建:奈良時代?

このあたりにはかつて、柿本寺という寺がありました。

この寺は名前の通り柿本氏の氏寺で、ここに柿本人麻呂の遺骨を葬ったのが今の歌塚だと言われています。

寺跡には今も礎石の一部が残っており、奈良時代の古瓦が採集されています。

文献では延久二年(1070)の「興福寺(こうふくじ)雑役免帳東諸部」にその名が見えるのが最初で、寿永二年(1183)の「柿本朝臣人麻呂勧文」に「春道社の杜の中に寺あり、柿本寺と号す」と記されています。

南北朝時代の建武四年(1337)には北朝軍の陣地がおかれました。

室町時代頃には現在の櫟本小学校西側の地に移転し、江戸時代には学僧が多く出て和歌や茶の湯に親しみました。

明治時代の初め頃に廃寺となりましたが、南北朝時代前後に描かれた「柿本宮曼荼羅」ほかの寺宝が今に残されています。

なお、今の歌塚の碑は享保十七年(1732)に森本宗徳や柿本寺の僧らによって建立されたものです。』


それにしても誰の像かと考えていたのですが、「柿本人麻呂」の像で間違いないようです。

和爾下神社(わにしたじんじゃ)が前方後円墳であり跡もそこに存在しています。

不動明王像もありますし、何とも不思議な場所であることは間違いないのですが、歴史音痴の私でもこの名前は聞いた事があります。

それにしても何ともややこしい史跡です。

国道沿いにある和爾下神社(わにしたじんじゃ)一の鳥居から本殿までの間に様々な史跡や神社があります。

そういえば西に進んだ地点にも御旅所があったような気がします。


関連情報レポートリンク

【天理市 寺院一覧】

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