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奈良市佐紀町 葛木神社


奈良県奈良市佐紀町に鎮座する「葛木神社(かつらぎじんじゃ)」です。

平城宮址の北側の丘陵地帯には、古墳や池が数多く在り、多くの神社も鎮座しています。

興味深いのは正月明けのこの周辺の神社には茶碗をひっくり返したような小さな小山と割箸のようなものが、この土盛りに刺さっています。

どのような神事が行われているのか興味津々です。


葛木神社(かつらぎじんじゃ)由来

金剛山の葛木神社(かつらぎじんじゃ)と奈良の葛木神社(かつらぎじんじゃ)の関係について、金剛山の葛木神社(かつらぎじんじゃ)の社記伝説によれば人皇第十代崇神天皇戌寅七年御造営神戸司を附し給うとあるにより、或は今から二千年昔に創祀されたのではないかと思われますが、其后武内宿禰の子孫であって神宮皇后の三韓征伐后貢物を献らなかった朝鮮新羅に十五代応神天皇の六十二年征夷大将軍として大功を立てられた史上有名な葛城襲津彦は、近年の南葛木、北葛木の両群を所有していた大豪族葛木氏の名将で、皇室の外戚の杖を握っていました。

そして金剛葛城の山の東麓なる高丘宮に住んでいました。

其の当時の第十六台仁徳天皇は、葛城襲津彦の娘葛城磐之媛(いわのひめ)を娶られて皇后とせれられ、今の大阪なにわに都して仁政を施されたことは人のよく知られるところであります。

そして磐之媛(いわのひめ)は仁徳天皇の正妻として、履中天皇・反正天皇・充恭天皇、三天皇を生み奉られた才媛の皇后でした。

ところが皇后が紀州へ行かれた留守の間に仁徳天皇が八田皇女に気を移し側室とせられた事を、大阪湾の船の上で知って大いに憤慨され、天皇の願いにも反対して浪速に帰れず、淀川木津川を遡って奈良を過ぎ、大和の郷里高岳宮の見ゆるところまで行かれ、奈良坂で有名な歌を詠まれ、再び山城へ引返し筒城宮京都府□□郡田辺町普賢寺(ふけんじ)附近に居られた。

天皇は何度も使いをやられたが、遂に自ら出向いて説得せんとせられたが断られた。

そして数年后筒城宮で一人寂しく亡くなられた。亡骸は平城坂上陵奈良市佐紀町に葬られ、其の悲恋を今に伝えています。

仁徳天皇は即位の元年葛城の峰大宮を尊敬して宮主祝部を置かれとあるによって、葛木神社(かつらぎじんじゃ)に宮司を置いて祭られたことを思い出し、嫉妬しつつも天皇を愛して居られた磐之媛(いわのひめ)は、佐紀町に葛木神社(かつらぎじんじゃ)を祀って祖先の豪族葛城氏を敬愛せられたのではないでしょうか。

其の后葛木神社(かつらぎじんじゃ)御祭神事代主神(ことしろぬしのかみ)が、人皇第廿一代雄略天皇猪狩の際、一言主神(ひとことぬしのかみ)として御出現遊ばされてより、後世金剛山葛木神社(かつらぎじんじゃ)も奈良の葛木神社(かつらぎじんじゃ)も共に一言主神(ひとことぬしのかみ)として奉祀されることになったのではないでしょうか。

昭和五十二年春

金剛山葛木神社(かつらぎじんじゃ)

宮司 葛城 貢』

※ 境内掲示より


この神社は石の上に半割の青竹と裏白が乗せられていました。

何かの意味があるのでしょうが、私には解りません。

正月の神事に参加したことは無いので何が行われているのか興味津々です。

風習と呼べるものになるのかは解りませんが、参加してみたい気持ちも少なくありません。

京都や奈良は少しばかり排他的である経験をしているので少し億劫になっていることは否めません。


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