
奈良県奈良市七条1丁目に鎮座する「天満神社」です。
と薬師寺八幡宮から南へ進んで直ぐのところに鎮座しているのですが、門が閉まっていて中に入って参拝することは出来ませんでした。
ところで、薬師寺周辺にはかなりの数の神社が鎮座しているようですが、本地垂迹の名残であるという事でしょうか。

『設社由来
当社は主神菅原道眞公、相殿に天照大神・蛭子之命・雨童子、末社には八坂神社(素戔嗚命)・八重垣神社(奇稲田姫)・服部老松神社(梅雄松雄)を祭る。
元慶元年十月十九日菅公文章博士を蒙られ領を山城の国土師の郷を賜り、旧河内の国土師の里より往来の節、当村在家に寛平二年(890)二月二十三日より二十九日まで御逗留せられし、その折自らの像を作り、その宅に残し給う。
それより九十有余年後の正暦四年(994)五月二十一日創社の儀たかまり同年九月六日、先の神像を迂座奉り設社せし以来千有余年を経る。
第二室戸台風にて倒壊せし樹齢千有余年の神木と共に鎮守を顕示し神顕かくとして近郷に比類なき天満宮として現在に至る。
神像、蛭子之命、雨童子、狛犬一対は奈良国立博物館に収納す。
なお現社殿は文明十年の建立。
昭和五十九年二月二十五日』

『奈良市指定文化財
天満神社本殿 一棟
室町時代 平成五年三月三日指定
天満神社は、社殿によると正暦四年(993)の創立とされています。
本殿は、小規模な三間社流造(開口三間の切妻造建物の正面の屋根を、流れるように延ばした神社本殿形式)の建物です。
建立時代は、桁・棟木・垂木に反り増しがある点や破風板などの様式から、少なくとも十六世紀にさかのぼると考えられます。
現在本瓦葺ですが、もとは檜皮葺かこけら葺きであった可能性があります。
土台や縁にも後世の改修があります。
しかし、全体に当初の部材をよく留めており、市内に残る中世社殿の一つとして貴重です。
奈良市教育委員会』
中に入って参拝できると嬉しいのですが門が閉まっていますし、ここも駐車余地がありません。
長時間かけて参拝できそうにありません。