(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年01月01日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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奈良市都祁南之庄町 三陵墓古墳群史跡公園周辺の史跡


奈良県奈良市都祁南之庄町ある「三陵墓古墳群史跡公園(さんりょうぼこふんぐんしせきこうえん)周辺の史跡〔公式HP〕」です。

都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)を目指して走っていると、三陵墓古墳群史跡公園(さんりょうぼこふんぐんしせきこうえん)という看板が道端にありました。

少し行き過ぎてから戻ってみて、車を停められそうなので訪問してみました。

結構なサイズの前方後円墳の三陵墓東古墳(さんりょうぼひがしこふん)と円墳の三陵墓西古墳(さんりょうぼにしこふん)と住居跡が整備されていました。

セントクンに匹敵するモニュメントに驚いてしまいましたが努力したのだろうとおもいます。


【古代の都祁村】

村内には、高塚遺跡など縄文時代早期以降の遺跡が確認されています。

弥生時代の遺跡には東山遺跡、丸尾遺跡など、代表的なゼニヤクボ遺跡では、竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)跡、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)があり、「ムラ」として古墳時代前期まで続いています。

大和高原で最大級の古墳である三陵墓西古墳が五世紀前半に、後半には三陵墓東古墳が築造され「古事記」「日本書紀」にみえる都祁直(つげのあたい)闘鶏国造(つげのくにのみやつこ)といった被葬者(ひそうしゃ)が想定されます。

両古墳の北側、低地部の縁辺から高床式(たかゆかしき)建物の梯子(はしご)土師器(はじき)が出土し、周辺の尾根筋には六世紀ごろの群集墳(ぐんしゅうふん)が多く作られ「クニ」があったことを想像することができます。

大化の改新後、「ツゲ国」は郷里制(ごうりせい)により都介郷と星川郷になります。

奈良時代には、平城京(へいじょうきょう)と伊勢を結び、都介野(つげの)盆地を通過する当時の国道「都祁山之道(つげやまのみち)」が開かれます。

第七回遣唐使の僧、道慈(どうじ)隠棲(いんせい)した「竹渓山寺(つげやまでら)」は都祁野岳(つげのたけ)南麓にあったとも言われています。

また、甲岡には薄葬令(はくそうれい)など当時の埋葬規制によって、従四位下の官位まで進んだ小治田朝臣安萬麿(こはりだのあそみやすまろ)火葬墓(かそうぼ)(国史跡)があり、副葬品からは高級官僚であったことを伺わせます。

聖武天皇の伊勢行幸の時に、宿泊地となった「堀越頓宮(ほりこしとんぐう)」も友田にあったと考えられています。

【地名「つげ」の表記例】

本村は古代より「つげ」と称され、次のような字が使われています。

都祁:古事記、長屋王(ながやおう)邸出土木簡、続日本紀(しょくにほんき)、三代実録、延喜式(えんぎしき)

都家:小治田安萬麿墓誌、長屋王(ながやおう)邸出土木簡

都介:三代実録、和名類聚鈔(わみょうるいじしょう)江家次第(ごうけしだい)

闘鶏:日本書紀

竹渓:懐風藻(かいふうそう)

竹谿:続日本紀(しょくにほんき)延喜式(えんぎしき)


写真を見ると周辺にはかなりの数の史跡が存在しています。

追々訪問してみようと考えていますが、隣接する筈の「市場古墳郡」や「三陵墓南古墳」は気も付かなかったので、行ってみても良く解らないかもと思っています。

伊賀市や名張市をウロウロしていると至る所に城跡があるのですが、この周辺にもかなりの数がありそうです。

城跡と言っても私には館跡や屋敷跡というイメージ程度しか思い浮かびませんが、戦乱の時代には要塞化していたという事でしょうか。


関連情報レポートリンク

    奈良市都祁南之庄町 三陵墓古墳群史跡公園周辺の史跡

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  • 市場古墳郡

  • 観音山古墳郡

  • 小山戸城跡

  • 丸尾遺跡

  • 高塚遺跡

  • ゼニヤクボ遺跡

  • 東山遺跡

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  • 川向遺跡

  • 小治田安萬保麿墓