(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2014年11月15日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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山辺郡山添村中峰山 神波多神社


奈良県山辺郡山添村中峰山に鎮座する「神波多神社(かんはたじんじゃ)〔波多の天王〕」です。

国道25号線と県道80号線の交差点横の小高い丘の上に大きな一の鳥居が立っています。

一度、一の鳥居から歩いて神社を探していて住民の方に聞いたら、豪い遠いと言われて断念した経緯があります。

神社に辿り着いたら本当に遠いことを実感しました。


神波多神社(かんはたじんじゃ)案内

神波多神社(かんはたじんじゃ)牛頭天王(ごずてんのう))は、「延喜式」神名帳(927)にその名が見られる古社で、「延喜式」臨時祭に畿内堺十ケ所祀った疫神のうち「大和与伊賀堺」に祀られた疫神であると考えられている。

また、本殿西方から出土した平安朝の古鏡や、正和元年(1312)の銘を刻む石灯籠(村指定文化財)があるなどから、かなり古くから信仰を集めているようである。

天正九年(1581)織田信長の伊賀攻めの際に兵火に遭ったと伝えられ、縁起等の資料を欠き沿革の詳細は明らかではない。

当社の祭神は素戔嗚命(すさのをのみこと)のほか春日大神(かすがのおおかみ)櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)を祀る。

古来から「波田の天王」と呼ばれ、大和・伊賀・山城など広くにわたり崇敬者が多い。

江戸時代前期(十七世紀中頃)の建立と推定される本殿は、奈良県指定文化財(建造物)である。

建立以来一度も根本的な解体修理がなかったことから各部が緩み放置できない状態になっていたので、保存のため平成六年から同七年(1995)にかけ初めて解体修理が行われ、創建当時の姿に戻った。

主なお祭は、祈年祭(二月二十五日)、祇園祭(旧六月十三日)、例祭(十月十五日)、新嘗祭(十一月二十五日)である。

神波多神社(かんはたじんじゃ)

山添村教育委員会』



山添村指定文化財

(昭和四十一年九月二十日指定)

石燈篭 神波多神社(かんはたじんじゃ)

正和元年(1312)

六角形の総高230cm。

「正和元年壬子四月十一日大願主良禪」の銘がある。

比較的大きい火袋(ひぶくろ)を有し、中台も重厚で獅子を半肉に刻し、反花にも力量観がある。

基礎の下端にも中台と同じように格狭間(こうざま)を配している。

各部とも鎌倉時代の特徴をよく表している。

この燈籠には、天正九年(1581)織田信長の伊賀攻めのときの戦火をこうむった跡をとどめている。

神波多神社(かんはたじんじゃ)延喜式(えんぎしき)の古社で、俗に「波多(はた)天王(てんのう)さん」と称して知られている。

山添村』



山添村指定文化財(平成二年三月九日指定)

神波多神社(かんはたじんじゃ)本殿 一棟

附 棟札九枚

(中嶺山区)

中嶺山の西方の高台上に鎮座(ちんざ)する神波多神社(かんはたじんじゃ)は、古くより除疫神(じょえきじん)牛頭天王(ごずてんのう)(まつ)り、「波多(はた)天王(てんのう)」として信仰を集めている。

当社の秋季例祭「天王祭り」はみこしのお(わた)り、獅子神楽(ししかぐら)などが行われ、多くの人々でにぎわう。

本殿は五間社(ごけんしゃ)流造(ながれづくり)檜皮葺(ひわだぶき)(銅板(おお)い)、礎石建(そせきだて)の社殿で、正面の屋根中央に千鳥破風(ちどrはふ)が置かれ、正面に一間の向唐破風(からはふ)向拝(こはい)が付く。

当社には、数多くの棟札が所蔵されているが、本殿の造立を示すものは存在しない。

ただ、元禄四年(1691)の上葺棟札があり、建立はこれより(さかのぼる)るものと考えられ、妻飾(つまかざり)虹梁(こうりょう)(ひさし)虹梁形頭貫(こうりょうけいかしらぬき)絵様(えよう)などからすると、江戸時代(十七世紀中頃)の建立と推定される。

この本殿は、小屋梁(こはい)の架からない内外陣焼の柱を半円柱とし、(こはい)架構(こはい)に制約されずに背面の柱を立てるなど、随所に独特の技法を用いた遺構(こはい)である。

また、千鳥破風・唐破風によって外観に変化を富ませた技法も珍しく、県下における近世社殿建築の発展を示す重要な遺構と認められる。

山添村』



山添村指定文化財

(昭和四十一年九月二十日指定)

石燈篭 八柱神社(やはしらじんじゃ)

正平十四年(1359)

六角形の総高215cm。

円柱の中節上半部に「正平十二巳二亥年四月廿日」の銘がある。

笠石(かさいし)に少し欠損したところがあるものの、他はもとのままよく残っている。

中台の側面には走る獅子を陽刻、基礎には格狭間(こうざま)を表し、全体としてよくまとまった燈籠である。

山添村』


この規模の神社が此の地にあるのは驚かされます。

相当古い時代から鎮座しているようですが、今でこそ道路もある程度整備されているのですが、今から百年程度前まではせいぜい徒歩か牛馬程度の交通機関で此の地に詣でるなどという事は大変なことであったろうと思います。

重機等も無く全て人力でこのような広大な境内に建造物を配するという壮大な人の営みには敬服してしまいます。

その上で信仰が篤くという事ですが、保存はかなりの努力が必要になるという事になりそうです。


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