(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2014年09月08日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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山辺郡山添村広瀬 西方寺


奈良県山辺郡山添村広瀬に鎮座する「西方寺(さいほうじ)」です。

山辺郡山添村鵜山に鎮座する八柱神社(やはしらじんじゃ)からかなり良い道を下って来るとこの広瀬に到達します。

個人的には山添村は秘境だと思っていたのですが、その気になれば現在の居宅からここまで歩いてこれます。

論理思考で整理すると、奈良県の東端の山添村の東側に越して来たのですから当然の帰結です。


国指定重要文化財(昭和三十三年二月八日指定)

木造阿弥陀仏如来立像

   快慶作 一躰

  西方寺蔵

本像は、昭和三十一年に「波多野村史」作成のための調査の際発見されたもので、左足柄の外側に「巧匠安阿弥陀仏」の墨書銘があり、快慶の無位時代の作品であることが知られる。

快慶は検認三年(1203)十一月には法橋位に叙せられているので、本像の造立はそれ以前ということになる。

本像は、粉溜、切金文様、像高98.5cm。

構造は檜材の寄木造で、像表面の粉溜のため詳細は明らかではないが、基本的には頭部・体部とも前後矧ぎとり、肩で左右の体側部を矧ぎつけ、両手首から先、両足先を矧ぎつけているようで、眼には水晶製の玉眼を嵌入している。

作風を見ると頬や胸・腹などの肉づけにデリケートな抑揚が認められ、また左肩から紐でつる袈裟の彫出なども、布の質感がよく現れているが、衣の襞は様式的に整然と構成され、写実性と様式性のほどよい調和が見られる。

快慶の初期の作風をよく示す優れた作品である。

山添村』



国指定重要文化財(昭和三十三年二月八日指定)

木造阿弥陀仏如来(あみだにょらい)立像

   快慶作 一躰

  西方寺(さいほうじ)

本像は西方寺(さいほうじ)の本尊である。

西方寺(さいほうじ)過去帳には、当寺は貞観三年(861)清和天皇の病気平穏のため再建されたこと、尼僧が二十七人も安住したことなど記されているが、史実的には確証はない。

本像は昭和三十二年波多野村史資料調査の際、鎌倉時代の名仏師快慶作であることが発見確認された。

本像は肉身部及び納衣、裾をふくめてすべてに金粉を塗った粉瘤の手法により、俯瞰の相をもった目は水晶製の玉眼を嵌め納衣及び裳には截金をもって数種の文様が描かれた跡がある。

光背及び七重蓮華座は後補である。

本像にはその左足柄の外側に「巧匠(梵字 アン)安阿弥陀仏」の墨書銘あり。

鎌倉時代の奈良仏師快慶壮年期の作である。

全躰誠に生気にみち、快慶の作風が遺憾なく発揮されている。

どうしてここに快慶の傑作が伝えられたのか定かではないが、もと西方寺は伊賀の九品寺(くほんじ)(上野市)の末寺であったため多分本寺から伝えられたものと考えられる。

西方寺(さいほうじ)は、もともと旧廣瀬小学校の校地(現在地)に建てられていたが、同校改築の際、別に字上出に仮堂を建て、本尊を安置したものである。

現在は、もとの西方寺(さいほうじ)の地にこの収蔵庫を建て、安置している。

昭和六十年三月

山添村教育委員会』


名張川の廣瀬橋を渡った真正面にあります。


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【山辺郡山添村 寺院一覧】

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