(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2014年07月24日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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宇陀市榛原上井足 三十八神社


奈良県宇陀市榛原上井足に鎮座する「三十八神社(さんじゅうはちじんじゃ)」です。

神社のリーフレットには〔〕つきで「三十八神社(みそはじんじゃ)」とも記載されています。

読み方は異なりますが、東大阪市西岩田に鎮座する「三十八神社(みそやじんじゃ)」と八尾市福万寺町に鎮座する「三十八神社(みそやじんじゃ)」に訪問したことがあります。

芳野川(ほうのがわ)を挟んだ宇陀市榛原下井足に鎮座する「宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)(下社)」があり、先日は宇陀市菟田野古市場に鎮座する「宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)(中社)」と宇陀市菟田野上芳野に鎮座する「惣社水分神社(そうしゃみくまりじんじゃ)(上社)」があります。


三十八神社(さんじゅうはちじんじゃ)

宇陀(うだ)榛原(はいばら)の里・上井足(かみいだに)

主祭神彌都波能売命(みずはのめのかみ)[罔象女神(みずはのめのかみ)]

当神社の主祭神・彌都波能売命(みずはのめのかみ)は、水の神で女神。

記紀によると伊邪那美命(いざなみのみこと)から化成した神と記されています。

また、「日本書紀」神代記には、この神を水神(みずかみ)罔象女神(みずはのめのかみ)とも書き、古来から「水を司り五穀豊穣の神」と伝えられています。

ご神徳は、諸事祈願・治水の神・井戸の神・農業の神・更に子宝安産・商売繁盛の神として信仰されています。

尚、主祭神のほかに宮中神など合わせて三十八柱の神々が祀られています。

社の由緒

創建は、平安時代後期、応保二年(1162)六月十八日と伝えられています。

当寺、この地は「井足庄」という興福寺(こうふくじ)の荘園でした。

上・下井足(庄)に分かれたのは古文書によると室町時代だったようです。

従って当社は、宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)ともかかわりが深く、分かれるまでは両庄(村)の神社として敬神され、両村ともに協力して社の造営をしていた記録(棟札)が残っています。

十四世紀頃には、領主・秋山氏の知行分でしたが実際には土豪・井足氏が支配し、また、伊勢や吉野・熊野への街道でもあるこの地の井足城塁の役人として治めていました。

豊臣時代の文禄四年(1593)に、この地方も新たな検地が行われ、すべての土地に税が課せられました。

三十八神社(さんじゅうはちじんじゃ)は、由緒ある神社でしたので境内地のほか、境内山林一町三反七畝二十九歩、境外田二反二畝十二歩が除地(免税地)になりました。

江戸時代は、主に松山藩の領地でありましたが、元禄八年(1695)年からは幕府の天領になりました。

明治維新の「神仏分離」後、神宮寺は廃寺となり、明治六年(1873)には、全国の神社に社格がつけられ、当神社は村社に列せられ、昭和二十一年(1946)の神社制度の改革により宗教法人として新たに出発し現在に至っています。

神社には数多くの棟札が保存されていますが、現存する最古のものは貞享三年(1686)のもので、この頃にはすでに上・下井足の両村が共同で神社の祭事を行っています。

両村共同の造営は千八百年代半ばからの棟札には記されていません。

また、明治以降はそれまでの社僧に代わって神職が祭祀を司っています。

神社の造営棟札によりますと創社以後、ほぼ二十年に一度は社殿の造営や屋根の葺き替えを行ってきています。

神宮寺善福寺(ぜんぷくじ)

境内には神宮寺である真言宗の寺「善福寺(ぜんぷくじ)」があり、神に仕える僧侶がいました。

主に長谷寺(はせでら)で修業した僧が住職をしている場合が多く、江戸時代の貞享の頃は「輿俊」という方でした。

明治の初め、神宮寺は「神仏分離」政策のため廃寺になりましたが、寺の一部大師堂は平成三年までありました。

廃堂になり現在はその跡に神社参集殿(神饌所)が建てられています。

二本杉遥拝所

神社下の道は、吉野・熊野・伊勢に通じ参詣道として、また古くは「神武天皇東征」や「壬申の乱」の時代から主要な道路であり、多くの人々が行き来してきました。

この道路沿いに当社の遥拝所があり、古来から、そこには二本の大木が聳えていました。

鎮守の森と当社が望まれるこの場所から、道行く人達は諸々の祈願や旅の安全をお祈りしてきました。

「平安時代、各地に布教の旅をしていた空海(弘法大師)がこの場所で弁当を食べ、その時、使った箸が芽を出して二本の大木になったんだ」という。

現在は何代目かの若木が植えられていますが、その前代の切り株が残っています。』

三十八神社(さんじゅうはちじんじゃ)神社リーフレットより


由緒ある神社であるという事は容易に理解できるのですが、大凡千年前からこの地に人が生活していたという事に驚きます。

少し北を流れる宇陀川堤防に咲く桜は2014年に名張市へ越してきて周囲の桜を見て回った中でも最も遅くまで満開でした。

こちらでよく聞く近鉄大阪線で「榛原」が一番寒いということの証明でしょうか。

引っ越ししてきた当初は、榛原駅周辺に史跡などが多くないなと思っていたのですが、そんなことはなさそうです。

じっくりと回ってみることにします。


関連情報レポートリンク

【宇陀市 神社一覧】