
奈良県宇陀市室生大野にある「史跡 大野寺石仏」です。
大野寺は、真言宗室生寺派に属し『白鳳九年(681)、役小角が開き、天長元年(824)、弘法大師が室生山を創める前に、ここに一堂を建て慈尊院弥勒寺と称したとあるが、これは真言宗になってからの寺伝であろう。室生寺の北の大門といわれ、山号は楊柳山。宇陀川の対岸の石英安山岩に刻まれた高さ13.8mの壮大な弥勒如来立像(磨崖仏)は、他には類がなく、気高く壮麗である。』という由緒があると宇陀市観光協会情報サイト(要 Adobe Flash Player)では説明されています。
いずれにしろ今のところ私が近畿地方と伊賀、名張で見た磨崖仏の中では最大です。

『史跡 大野寺石仏
この石仏は、鎌倉時代の初期、承元三年(1209)三月六日、後鳥羽上皇が石仏開眼供養のため、御幸されたことによって、その造像年代をうかがい知ることができるものであり、笠置寺本尊弥勒菩薩磨崖仏を模したものとされている。
石仏はruby>大野寺の東、宇陀川を前に西面して峙立する流紋岩質溶結凝灰岩の大岩壁に二重円相光背を彫り凹め、その面に薬砥彫影線で現わされている。
羅髪は鯖状に、眉目は全部彫り下げ、口は輪郭を刻む。
首は三道を現し、総身袈裟を纏い、右手垂下して、施無畏印、左手屈腎掌上外にして、第一、第二指を念じ、斜め右を向いて割蓮筆座上に立つ総長約11.5mの巨像である。

開眼供養の際、後鳥羽上皇や公家たちの筆になる願文類を石仏体内に納めたと記録されているが、これを裏付けるかのように、大正五年の調査で小巻子を検出したが朽ちていたため開くことができず再び胎内に戻されている。
このように造像年代が知られ、巨大であるばかりでなく、政策も秀れているということから、対岸の大野寺境内地などを含めて、昭和九年(1934)十一月十日史跡に指定された。
ruby>大野寺』

宇陀川が大きく湾曲しているのに驚いたのですが、『磨崖仏は「屏風ケ浦」といわれる川瀬を挟んだ対岸の大岩壁に線刻されている。』とされていて、宇陀市観光協会情報サイトとは少し大きさが異なりますが、崖下から測ればこれ位の差はあると思います。
私は何よりもこの地形に驚かされたのですが、国道165号線を数回走っていてこの大岩が少し見えていたのですが、まさかこんな立派な磨崖仏があるという事に思いも及びませんでした。
想像力が豊かであれば気が付いたのかもしれません。
すこし回り道になりますが駅側には海神社もありますので、訪問して大樹を見て欲しいですね。
時間があれば稲荷神社まで足を延ばして往古を偲ぶのも悪くないと思います。