(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2011年06月29日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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生駒郡平群町信貴山 信貴山城址


奈良県生駒郡平群町信貴山の「信貴山城(しぎさんじょうあと)址」です。

この碑は山上にある「空鉢護法(くうはつごほう)」手前の参道脇にあり、見落とさないようにしてください。

稲荷神社のように赤い鳥居が並んでいますが、登りの際の右側のに石碑と説明書きが見えてきます。

私も最初はこのような石碑であるとは気が付かず、椅子が見えたので休憩しようと近づいて初めて気が付きました。


信貴山城(しぎさんじょうあと)

平群町指定文化財

平成五年四月十二日指定

所在 平群町信貴山千三百八の一番地

所有・管理 信貴山歓喜院朝護孫子寺

標高四三三mの信貴山御嶽を中心とする山城で、東西550m、南北700mに渡って百二十以上の郭を配し、奈良県下最大規模を有する中世城郭。

空堀の切り通し堀、土塁、織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡。

信貴山は古代より河内と大和を結ぶ要衝地として幾たびか築城が繰り返される地である。

古くは天智朝における高安城中心域城となり、中世には護良親王が鎌倉幕府軍への対抗拠点とするなど戦略的に重要な位置にあった。

その後、戦国時代に木沢長政、松永久秀が築城入城し、大和を抑える本格的な山城として整備される。

天正五年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、大群の総攻撃を受け五十日間籠城、十月十日に落城。

その後、廃城になる。

平群町教育委員会』


石碑には『天智天皇の六年(667)に築かれた高安城の一角たる。この地に中世に至りたびたび砦が築かれ楠木正成(- 1336)も一時ここに拠ったという。

天文五年(1536)河内の国の木沢長政が城を築き住んだが間もなく敗死、永禄の初め三好長慶が家宰松永久秀(1510 - 1577)大改修を加えて、この城に拠り近畿に覇を唱えて居ること十数年に及んだが遂に織田信長の軍に攻められ、天正五年(1577)十月十日に落城、久秀、久通父子共に自害し滅亡今日に至っている 城は標高四三三メートルの御嶽(今空鉢堂(くうはつどう)ありを中心として南東から北西にかけて放射線状に北方に幾たびつもの峯にに郭が建てられ濠を巡らし東西五百メートル、南北六百六十メートルに及ぶ要害の山城であった。

平成五年一月 文学博士 石井庄司撰並書』


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【城跡・城址】