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奈良市高畑町 比賣神社(旧 比賣塚)


奈良県奈良市高畑町に鎮座する比賣神社(ひめかみしゃ)です。古くは「比賣塚(ひめつか)」と呼ばれていたようです。

説明書きには「鏡神社(かがみじんじゃ)摂社」と記されています。

鏡神社(かがみじんじゃ)摂社

比賣神社(ひめかみしゃ)「旧比賣塚(ひめつか)

御祭神 十市皇女(とうちひめみこ)

脇座 市布嶋比賣(いちきしまひめ)

御鎮座 昭和五十六年五月九日

例祭 五月十日

当神社の「由緒書」は鏡神社(かがみじんじゃ)の社務所にございます。』

社務所には、新聞の切り抜きが張ってありました。

『夫婦で建てた「比売神社(ひめかみしゃ)

古代にあって十市皇女(とうちひめみこ)ほど歴史の荒波に翻弄された女性はいないだろう。

彼女は情熱の歌人額田王と天武天皇になる大海人皇子との間に生まれた。額田はその後、大海人の兄、天智天皇に召されたと言われる。十市は天皇の子、大友皇子に嫁ぐ。

壬申の乱は父と夫の戦いだった。破れた夫は自害。十市は生き残り、父の元に引き取られた。大海人は娘の救出にやっきとなったはずだ。家康が孫の千姫を落城する大阪城から救い出させる場面を思い起こされる。

飛鳥の宮に身を寄せた十市は、戦いから六年後の678年4月7日、宮中で突然死ぬ。日本書紀はそれ以上の説明をしていないが、私は自殺ではないかと思う。父の正妻である後の持統天皇は十市に冷たかったろう。苦悩が重なり、生きる望みを失ったに違いない。

十市皇女(とうちひめみこ)の御霊を鎮めるため、個人で神社を建てた夫婦がいる。そんな話を耳にして奈良市高畑町に住む寺島富郷さんに会いに行った。

新薬師寺(しんやくしじ)東門の前のお宅で高校の教師だったという寺島さんはゆっくりとした口調で話し始めた。

「あれは昭和五十四年(1979)、伊勢神宮(いせじんぐう)に向かう電車の中のことでした。私の首に白いヘビが巻いているのが妻のキヨコに見えました。キヨコには、お寺の堀沿いにある「比賣塚(ひめつか)」から「祀ってほしい」と頼んでいる声も聞こえたそうです。」

「これは大変だなとなって、新薬師寺(しんやくしじ)の隣にある鏡神社(かがみじんじゃ)の梅木春和宮司にうかがったところ、比賣塚(ひめつか)には十市皇女(とうちひめみこ)が埋葬されているという言い伝えがあるとのお話でした。皇女が私たち夫婦に語りかけてこられたに違いない、神社を作ろう、と決心したわけです。」

比賣塚(ひめつか)は、高さ1m、広さ九坪ほどの土地で雑草が生い茂っていた。そこだけ国有地だったので寺島さんは財務局に日参し、払い下げを頼んだ。そして土地は新薬師寺(しんやくしじ)の名義、新しくつくる「比賣神社(ひめかみしゃ)」は、鏡神社(かがみじんじゃ)の摂社、お金は寺島さんが出す、こ

二年後の1981年、比賣神社(ひめかみしゃ)は完成した。命日を新暦に直した五月九日に皇女の霊魂をお迎えする御鎮座祭が開かれた。

十市神社(といちじんじゃ)といった名でも良さそうなのに、なぜ、ヒメ神社としたのですか」と聞いたら「おおげさなことはしたくありませんでした。ささやかにお祀りしたいと思いました。」という返事が返ってきた。

寺島家は代々高畑町に暮らしてきたわけではない。戦後、中国の大連から引き揚げ、1951年5月9日に高畑町に移り住んだ。御鎮座祭がぴったり30年後だったのも不思議な巡り合わせである。

皇女は本当に比賣神社(ひめかみしゃ)の場所に眠っているのか。それはわからない。日本書紀には「赤穂に葬る」とあるだけだ。

「赤穂」はどこか、にも諸説ある。新薬師寺(しんやくしじ)近くの赤穂神社(あこうじんじゃ)は候補地のひとつ。そこだとすると高畑町にお墓が2ヵ所あることになる。

比賣塚(ひめつか)は「秘め塚」でもあり、みだりに上ってはいけない聖地でした。私は比賣塚(ひめつか)がお墓で、赤穂神社(あこうじんじゃ)は拝所だったと考えています」と寺島さん。

鏡神社(かがみじんじゃ)の今の宮司、梅木春○(80)さんは亡くなった春和宮司の弟だ。

「御鎮座の時私は鏡神社(かがみじんじゃ)禰宜(ねぎ)でした。役所に通い、費用を貰い、毎年五月にお祭りする。寺島さんご夫婦はよくなさってこられたと感心します」

参拝者には女性が多い。東京や横浜から、毎年やってくる人もいるそうだ。十市皇女の数奇な運命、薄幸が共感を呼ぶのだろう。

寺島さん夫婦が「お告げ」をかなえてから四半世紀。一度造り替えた鳥居も根元が腐りかけてきた。

「お宮の維持くらいは子どもや孫がやってくれるでしょう。」寺島さんは静かに微笑んだ。2006年11月10日朝日新聞』

なるほど、この様な記事があると判りやすいし親しみも持てます。それにしても数奇な運命は寺島さん夫婦も同じではないでしょうか。


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