(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2008年11月02日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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奈良市高畑町 史跡 頭塔


新薬師寺から西へ山麓を降って来ましたが、初めてみる風景がホテルの駐車場から見えました。

周囲を見回すと「史跡 頭塔」という道標があります。読み方も解らなかったのですがどうやら「づとう」と読むようです。門扉のようなところにたどり着きましたが、「100m程東の保存会に声をかけてください。」と書いてあります。

階段を上がったところに説明書きの看板がありした。

『史跡 頭塔

大正十一年三月八日、国指定

頭塔は古くから奈良時代の傑僧玄夘の頭を葬った首塚であるとの伝えがあるが、神護景雲元年(767)良弁僧正の命により東大寺(とうだいじ)僧実忠が造営した土塔であることが明らかになっている。

外見は森であるが、本来方形32mの四角錐台で七段に築かれた仏塔である。各段の四方には現在二十七基の石仏が残っている。

石仏の高さ61?111cm、それぞれ浮彫・線刻などで如来三尊や侍者等をあらわした一群は変化に富んでいる。奈良時代の彫刻としては価値の高いこれらの石仏のうち、当時確認できた十三基は、昭和五十二年六月十一日に重要文化財に指定された。

平成十二年三月 奈良県教育委員会』

はっきり云って、何回もこの辺りを訪問しているのですが、南面にある樹木しか目に止まらなかったのでしょうか。このような不思議というかまるでピラミッドのような建造物があることすら聞いたこともありませんでしたし、写真などで見たことも、テレビで紹介されたこともないのではないでしょうか。全く、記憶にも知識にもありません。

『頭塔の発掘と整備

発掘調査は、奈良国立文化財研究所が担当し1987年から1998年までに9次にわたる調査を行った。その結果、頭塔は一辺32mの石摘の基壇上に建つ七段の階段状石積からなり、基壇を含めた全体の高さは約10m、石積の上に瓦葺きの屋根がのっており、期数段には石仏が配置されていたことなど明かになった。現状の頭塔内部にはひとまわり小さい頭塔があり、それが当初期のものであることなど、頭塔が他に類を見ない特異な形の仏塔であることがわかった。

復元整備は、現状の頭塔を対象とし、当初期のものは内部に保存することとした。基壇と七段の石積を復元し、残存していた石積と復元のために新たに積み足した石積の境界には鉛版を入れて明示し、また、抜き取られていた石仏の位置には新石を補充した。なお、現在石仏の上にのっている屋根は、本来あった屋根を復元したものではなく、石仏を直射日光や風雨から保護するためのものである。また、頂上にある五輪塔は発掘調査前から置かれていたものであり、おそらく江戸時代に据えたものであろう。』

方形基壇の上に方形七層の階段状の土壇を築いた頭塔は、第一、三、五、七の奇数段四面に各十一基づつ総数四十四基の石仏が整然と配置されていた。現在までに四十四基のうち二十八基が確認され二十五基の表面には浮彫や線彫で仏菩薩像が表されている。そのうち十三基が昭和五十二年に重要文化財の指定を受け、一基が郡山城の石垣に転用されている。その他の十四基は、史跡整備にともなう一連の調査により平成十一年までに新たに発見された。

石仏は第一段では四面に五基づつあり、各面中央に仏浄土を表した大型石仏が配置されている。東面が他方仏浄土、南面が釈迦仏焦土、西面が阿弥陀仏浄土、北面が弥勒仏浄土を表した図像であることから、第一段は四方四仏を中心にした配置と考えられる。

頂上の第七段四面は、盧舎那仏浄土を表した同一図像の石仏(北と西)で統一されている。第一段と頂上段における石仏配置にには、四方四仏に対して盧舎那仏が上位にあることを示す曼荼羅的構想があったと考えられる。

そのほかの石仏には、仏本生説話像(北三段)、法華経の二仏並坐像(東五段)、涅槃経の仏棺礼拝像(西一段)、維摩経の文殊維摩対論像(東一段)、華厳経の善財童子歴参像(北一段、南一段、西一段)として解釈されるものがあり、奈良時代の仏教説話美術として注目される。

仏菩薩に見られる豊満な表現は、天平盛期の特徴をよく示し、記録にある通り神護景雲元年(767)に造立されたと考えられる。

頭塔石仏は、数少ない奈良時代の石仏としてきわめて貴重な遺例であるが、諸仏に対する盧舎那仏の優位性を示すその立体曼荼羅的配置は東大寺(とうだいじ)盧舎那大仏と並ぶ天平仏教の壮大な理念を示す遺構としてさらに重大な意義がある。』

それにしても知られているのでしょうか。

あまり有名では無いように思います。東大寺(とうだいじ)からも結構距離がありますし、新薬師寺からもかなりの距離があります。

しかし、奈良公園に来たのならば必ず訪問して欲しいものです。

一見の価値ありと言うのはこの「史跡 頭塔」のことではないでしょうか。

それにしても何故気付かなかったのでしょうか。整備されたのが最近であるということでしょうか。


大阪の堺市にもよく似た形状の土の塔があるという情報があります。

機会があれば訪問してレポートします。

大阪の堺市中区土塔町に「国指定史跡 土塔」があり、「僧行基(ぎょうき)らによって土と瓦で築かれた十三重の塔」でこの頭塔に形状がよくにているということです。

2009年に「国指定史跡 土塔」復元工事完了ということです。


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