(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年04月14日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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神戸市東灘区御影郡家 浄土宗 中勝寺


阪神大震災当時の「中外日報」によると、この「浄土宗 中勝寺(ちゅうしょうじ)」は、山門(リンク切れの可能性もあります。)、本堂、庫裡が全壊し、無キズの白い塀が印象的と震災時のレポートがあります。山門は新しいものなのでしょうか。当時の残骸を使って再建できたのでしょうか。そんなに新しいものであるとは思えませんでした。この西国街道から上部には反射波と呼ばれる地震波で大きな被害を受けた地域だそうです。

手水の堂は大きな被害を受けなかったのでしょうか。屋根も軽いので瓦が落ちる程度で済んだのでしょうか。

そういえば後ろの本堂は、「浄土宗 常佳山 阿彌陀寺(あみだじ)」のような斬新さは見られませんが、新築したと思えますね。

鐘楼も手水の堂と同じような構造ですが、重い鐘をぶら下げるので、太い柱を使っています。それにしても屋根の大きさからは揺れに対するモーメントの大きさを思わせるのですが、大丈夫だったのでしょうか。震災からかなり経ってからこのようなことを思っているのは何となくおかしいですよね。

境内に置かれたいくつかの鬼瓦が印象的でした。本堂や山門が全壊しているということは、大切に取ってあるということなのでしょうか。

このお寺不思議な事に山門に葵の紋と桔梗の紋があります。由緒正しいというか、何らかの謂れがありそうですね。

自然石に私には読み解くことのできない字を彫った墓があります。「平野忠勝墓由来」と説明書きがあります。

中勝寺(ちゅうしょうじ)は、元来「忠勝寺」(ただかつでら)と称し、平野備前守忠勝を祀った菩提所である。

平野備前守忠勝は、源頼正の子孫で、正平年間(1346年頃)御影の上の山に平野しろ(御影村城)を構えていた。足利尊氏とその弟との間に起きた観応の戦乱(1351年頃)に巻き込まれて破れた後、郡家村に退いて農業に従事した。

その後、平野氏の子孫は旧尼崎領内上席の大庄屋職となり、東は兎原郡津知村(現在の神戸市東灘区周辺)から西は八部郡坂本村(現在の神戸市兵庫区周辺)に至る22個村を治めた。

この平野備前守忠勝参墓は、当寺院東側の平野氏旧屋敷内の的場にあった。平成15年(2003)の境内墓地整備に当たり、忠勝子孫の八基と共にこの地に移設したものである。

なお、当寺院の東隣にある水神宮は、文政12年(1829)に私費を投じて住吉川から灌漑用水を引いた忠勝子孫の平野延輝を祀ったものであり、その墓は中勝寺(ちゅうしょうじ)境内本堂の西側にある。(平成15年8月 第26世 藤井大俊)

なろほど、ここへ到着する前に見た、「せせらぎの水路」と「水神宮」はそういうことであったのかと解りました。

それでは、「水神宮」の横にあった参道から「弓弦羽神社(ゆづるはじんじゃ)」へ向かうことにします。