(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年04月14日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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神戸市東灘区住吉宮町 求女塚東公園 東求女塚古墳


パンフレットの「東求女塚古墳(ひがしもとめづかこふん)」は求女塚東公園(もとめづかひがしこうえん)内にある3分くらいで到着しました。結構広い公園なのですが、震災の頃にもこれだけの公園があったのでしょうか。ここに避難した人も結構多かったのでしょうね。桜の花が終了していたのは残念です。

東求女塚古墳(ひがしもとめづかこふん)は、『御影塚町の処女塚古墳、灘区都通りの西求女塚古墳(にしもとめづかこふん)とともに、「葦屋の菟名負処女」をめぐる悲恋伝説ゆかりの塚として古くから有名です。伝説によると、菟名負処女をめぐって争った信太壮士(しのだおとこ)の墓だと言われていますが、実際は、このあたりを支配した豪族の墓であろうと考えられます。

現在、墳丘の一部は公園の中に残っていますが、土取によってなくなってしまいました。

昭和57年、遊貴幼稚園の園舎改修工事に伴って行われた発掘調査では、前方部の墳丘の裾部と周濠が発見されました。また、公園整備に伴う調査で後円部の裾部も残っていることがわかりました。

これらの調査の結果から、前方部を北西に向けた全長約80mの前方後円墳で、墳丘の斜面には石が置かれていたことがわかりました。

東求女塚古墳(ひがしもとめづかこふん)から出土した遺物は、銅鏡、◇輪石、剣・玉などで、明治時代に盛土取りの際発見されました。これれの遺物は、現在、東京国立博物館に保管されています。この古墳の造られた時代は、出土遺物から、4世紀後半と考えられています。(東灘区役所)』


この辺には至る所に慰霊碑が立てられています。それだけ被害が大きかったということでしょうか。忘れてはいけませんが引きずられてもいけないと思います。

私はこの公園に入って塚を見たときに、円噴かと思いましたが、説明書きを読んで理解できました。盛り土を剥ぎ取ったのですね、そのうえ石もどこかに運んでしまったということです。墓地を忌み嫌う日本人には大胆なことをする人がいるのですね。そう言えば、藤井寺や奈良の古墳でも敷地だろうというところに結構住んでいる人がいます。

桜の木が数多く植えられていますし、満開であれば結構綺麗だろうなと思います。

これから、阪急の御影駅の近くに「中勝時(ちゅうしょうじ)」「弓弦羽神社(ゆづるはじんじゃ)」があり、「せせらぎ水路」などが書かれていますので、メタボ対策も兼ねて歩いてみることにします。