(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2022年07月11日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市稲田本町 曹洞宗 観音禅寺〔観音寺〕


大阪府東大阪市稲田本町にある「観音禅寺(かんのんぜんじ)観音寺(かんのんじ)〕」です。

入口にやたら「河内西国丗番霊場」の石碑と看板と「河内国 金比羅宮」の石碑があります。

なんとも少しばかり不思議なのですが、あまり名前を聞かないというか、興味もなかったのだからでしょうか。

少し変わった鐘楼とお寺の存在は知っていましたが、耳にした記憶はありません。


観音禅寺(かんのんぜんじ)と徳川家

戦国時代の戦乱で焼失した観音禅寺(かんのんぜんじ)は、上方代官の鈴木三郎九郎重成公(当時摂津・河内の堤奉行兼任。後に初代天草代官となる。)を施主に慶安元年(1648)に戦乱の折に運び出し地中に埋めておいたと言われる、聖徳太子御作の聖観世音菩薩(観音さま)をご本尊としてこの地に再興されました。

重成公は徳川家の旗本であり、観音禅寺(かんのんぜんじ)を再興するにあたり徳川大将軍三代(家康公・秀忠公・家光公)をおまつりするようにとのことでした。

江戸時代初期(家光公が亡くなられた直後)より徳川大将軍をおまつりしております。

そのことは、萬治元年(1658)の古文書に記述が残ってあります。

本堂正面の観さまの前の正面に家康公、右に秀忠公、左に家光公のお位牌をそれぞれ安置しております。』

※ 境内掲示より


お寺や神社に興味も無かったので当然だと思いますが、徳川家を前面に出すと大阪府下では引かれてしまうのでしょう。

最近知って笑ってしまったのは、「今の大阪城は豊臣秀吉ではなく徳川家康のお城だという事を云えない。」という事です。

どちらでも問題なさそうですが、雰囲気があるのでしょう。


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