(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2022年01月11日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市御厨 市指定文化財 植田家住宅


大阪府東大阪市御厨にある「市指定文化財 植田家住宅(うえだけじゅうたく)」です。

私の知人宅は楠根川の向こう側に在ったのですが、植田家当主も何の因縁か知り合いになりました。

知人宅も同じようなものだったのですが、現在では十七軒の家が建っています。

今では治水対策で第二寝屋川という大きな川になっていますが、子どもの頃の楠根川はそんなに大きな川ではありませんでした。


『市指定文化財

植田家住宅 一棟

御厨(みくりや)の村は、古くから大坂と奈良を結ぶ(くらがりとうげ)(峠)(ごえ)奈良街道(ならかいどう)(すじ)にあたっていて、街道筋の村々には、本陣札(ほんじんふだ)を残す家があります。

植田家(うえだけ)もその一つで「松平甲斐守(まつだいらかいのかみ)(さま)>御本陣(ごほんじん)」と「片桐石見守(かたぎりいわみのかみ)(さま)御本陣(ごほんじん)」と書かれた木札(きふだ)が残されている。

江戸時代の御厨(みくりや)の村にはこのような大名(だいみょう)が、足を()めた家が他にもあり、街道を行き来する大名(だいみょう)が、休憩(きゅうけい)していったものと考えられます。

現在の植田家は、その頃の建物の内、主屋(おもや)部分だけが残っています。

その規模(きぼ)は、桁行(けたゆき)(東西)十間、梁間(はりま)(南北)五間から五間半からなり、昔は庭を(はい)した別棟(べつむね)座敷(ざしき)茶室(ちゃしつ)があって、そこで大名(だいみょう)や来客をもてなしたそうです。

家への出入りも、ウチニワ(土間(どま))に入る人達と、玄関(げんかん)(シキダイ)から座敷(ざしき)へ通る人達に分けられ、家屋(かおく)の中に室と室の境は、四本(みぞ)敷居(しきい)区別(くべつ)されていました。

ウチニワも広く、(こめ)綿(わた)()み上げたのではないか、と考えられています。

カマヤは、現在は改造(かいぞう)されていますが、昔は大きなカマドがあって、(かま)がかけられていました。

シキダイは、力士(りきし)羽黒山(はぐろやま)()()ったので、現在は(だん)靴脱(くつぬ)ぎ石に()っています。

屋根も現在は瓦葺(かわらぶ)きですが、もとは草葺(くさぶ)きであったようです。

江戸時代も文化(ぶんか)文政(ぶんせい)頃の貴重な民家として、昭和五十二年五月二十六日に、市の民族文化財として、指定を受けています。

現在もご家族で居住しながら保存されていますので、一般公開はされていません。

平成十三年三月 東大阪市』

※ 境内掲示より


偶々知り合ったのは当主であったのですが、私の息子と娘が同級生であったことは知りませんでした。

お爺さんが亡くなった時に当主から数十億の相続税は払えんなんて聞いて目を丸くしましたが、残念ながら伊賀・名張へ越して直ぐに亡くなったと聞きました。

融通念仏宗の檀家総代も勤めているという事でなかなか大変そうだったのですが、私などには想像もつきませんでした。

外から眺めて驚いてください。