(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年11月28日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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南河内郡千早赤阪村水分 建水分神社


大阪府南河内郡千早赤阪村水分に鎮座する「建水分神社(たけみくまりじんじゃ)公式HP〕」です。

通称は水分神社(すいぶんじんじゃ)とも呼称されています。

境内には摂社として南木神社(なぎじんじゃ)も鎮座しています。

そもそも奈良県御所市関屋に鎮座する水分神社(みくまりじんじゃ)に参拝しようとして解らずに大阪へ入り込んでしまいました。

この神社も参拝したかったので嬉しい限りです。。


建水分神社(たけみくまりじんじゃ)

<通称・水分神社(すいぶんじんじゃ)

御祭神

〔中殿〕天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)(宇宙根源の元始神で天地創造と万物生成の神)

〔左殿〕天水分神(あめのみくまりのかみ)(天の水を施し分配する神)・罔象女神(みつはのめのかみ)(水を主宰する神)

〔右殿〕国水分神(くにのみくまりのかみ)(地の水を施し分配する神)・瀬織津媛神(せおりつひめのかみ)(罪穢れを祓い清める神)

御由緒

創建は第十代・崇神天皇五年(前92)で、同天皇の御宇天下饑疫にみまわれ、百姓農事を怠った時、諸国に池溝を穿ち農事を勧められ、この時勅して金剛葛城の山麓に水神として奉祀せられた。

延長5年(927)修撰の『延喜式-神名帳-』に「建水分神社」と記載(河内國・石川郡・官幣・小社)の式内社である。また延喜元年(901)撰上の『日本三代実録』には叙位累進の記録が見える。

世々皇室の御崇敬極めて高く、第九十六代・後醍醐天皇の御代に至り、建武元年(1334)楠木正成公に勅して、元は山下の水越川の畔にあった社殿を現地山上に遷し、本殿、拝殿、鐘楼等を再営させられ、延元二年(1337)神階正一位の極位を授け賜った。

当社は霊峰金剛山の総鎮守で、古来より付近十八ケ村の産土神であると共に、累代此地を本拠とした楠木氏の氏神でもある。

正成公は勅を奉じ征賊の軍を起こすに当たり、祈念篤く当社への祈念厚く、「久方の天津朝廷(あまつみかど)の安かれと祈るは國の水分の神」と詠まれた。

ときには、織田信長は河内国攻略に際し、当社領を悉く没収し、社頭は一時衰退したが、豊臣秀吉は再び田地を祈祷料として寄進し、深く崇敬するところとなり、次第に旧に復するを得た。

なお大鳥居の「正一位 水分大明神」の額は、後醍醐天皇宸筆と伝えられ、正行公の嫡男である正行公が奉納された木額(宝物)の表面が摩滅した為、宝永二年(1705)、金銅製にて模造したもので前大納言・葉室(藤原)頼孝卿の筆金銅製にて模造したものである。

明治六年付近十八ケ村の総鎮守・産土神の故を以て郷社に列し、明治四十年神饌幣帛共進社に指定せられ、氏子区域内十七の神社を合祀し、大正二年府社に昇格した。

また正成公再営の本殿は三殿からなり、水分造とも称される。

中殿に一間社春日造、左右両殿に二間社流造を配し、各殿を渡廊で連結するという全国でも他に例を見ない様式である。

構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範であり、明治三十三年に大阪府の神社建築として初めて特別保護建造物(国宝)に指定され、昭和二十五年には重要文化財の指定を受けた。<非公開>

摂社の南木神社(なぎじんじゃ)は楠木正成公を祀る。

延元元年(1336)正成公が湊川で戦士されると後醍醐天皇その悼惜限りなく、翌二年(1337)御親らその像を刻ませ給い、公と縁故深き当神社境内に祀り、その誠忠を無窮に伝えしめ給うた。

さらに次代の後村上天皇より、「南木明神」の神号を賜った。

元禄十年(1697)領主の石川総茂も正成公を尊崇し、領頽した南木神社(なぎじんじゃ)社殿を再建した。

しかし、この社殿も昭和九年の大風害(室戸台風)により老木倒れて崩壊し、現社殿は昭和十五年官幣社建築に準じて設計再造営されたものである。

末社の金峯神社(きんぶじんじゃ)は本社拝殿の北脇に鎮座し、由緒創建は詳らかでないが、皇室の御祖人であり、日本人の総氏神でもある伊勢の神宮の御祭神、天照大御神を奉斎する。

また当社紋の菊水は楠木氏の家紋としても世に知られ、その名の如く上半分が菊、下半分が水の流れを表す。

紋様の由来には諸説あるが一説に、皇室御紋である菊は後醍醐天皇より正成公のその忠誠に対し下賜され、水流は楠木氏が氏神として崇敬した当社が水の分配を司る水神である為とされる。』

※ 境内掲示より


また参拝できそうです。

楽しみです。


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