(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年01月14日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市衣摺 八尾街道・御本山道と道標


大阪府東大阪市衣摺にある「八尾街道(やおかいどう)御本山道(ごほんざんみち)道標(みちしるべ)」です。

地蔵堂(ながせぼち)」を挟んで「道標(みちしるべ)と説明書き」があります。

河内国の中央部になるこの周辺は、元々沼地や湿地で大和川の付け替えで徐々に土地に成ったり新田開発が盛んに行われて大坂と奈良とを結ぶ交通の要衝であったということです。

だからこそ物部守屋と蘇我馬子の戦いがこの地で行われたのでしょう。


八尾街道(やおかいどう)御本山道(ごほんざんみち)衣摺(きずり)

八尾街道(やおかいどう)は、暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)今里(いまざと)から分かれ、岸田堂(きしだどう)衣摺(きずり)大蓮(おおはす)佐堂(さどう)八尾(やお)寺内の各地を経て老原(おいはら)で、亀瀬越奈良街道(かめのせごえならかいどう)へ通じていた街道で、中河内の主要な生活道のひとつでした。

一方、十三街道(じゅうさんかいどう)上小阪(かみこさか)から分かれ近江堂(おうみどう)衣摺(きずり)平野(ひらの)へ通じる道は、御本山道(ごほんざんみち)・ひらの道・融通道(ゆうづうみち)とも呼ばれていました。

平安時代末に、良忍(りょうにん)によって創始された融通念仏宗総本山の大念仏寺(だいねんぶつじ)が、平野(ひらの)(大阪市平野区)に在り、江戸時代、河内地方は、融通念仏宗が盛んで、上小阪(かみこさか)豊浦(とようら)加納(かのう)鴻池(こうのいけ)など市内各所に、平野本山への道しるべが多く残っているようにひんぱんに利用された道です。

長瀬墓地(ながせぼち)には、融通念仏宗の中興と仰がれている法明上人(ほうみょうしょうにん)(1278 - 1349)の墓塔が江戸時代の信者によって建てられており、ここに参拝して、衣摺(きずり)の村から平野本山へ参拝することが多かったようです。

衣摺(きずり)の地名は、古代の染色技法の一つ、模様をきざんだ木製の上に布をおき、藍やあかねなどの染料で布の表面を摺り、木型の模様を布に染め出す仕事をしていた人たちが住んでいたので、つけられたといわれています。

昭和五十八年六月 東大阪市教育委員会

寄贈 東大阪布施ライオンズクラブ』

※ 境内掲示より



歴史が解ると面白いものですし、更に興味も増すでしょう。

各地にこのような解説があると楽しいと思うのですが、どうなのでしょうか。