(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年01月09日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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堺市堺区北丸保山町 史跡 丸保山古墳


大阪府堺市堺区北丸保山町にある「史跡 丸保山古墳(まるほやまこふん)」です。

正月にあちらこちらへ出かけても、有名な神社や仏閣は初詣の人混みの雑踏で近づきたくもなく、昨年の正月に仁徳天皇陵の南側を散策していて、人も疎らで静かであったので二年連続して訪問し、今年は北側に廻り込んでみました。

知らなかったのですが、中央環状線が北側を走っていました。

ぐるっと廻り込むとこの古墳に辿り着きました。


『国指定史跡

丸保山古墳(まるほやまこふん)

所在地 北丸保園三十、三十一-一、-二、三十二

規模 全長約八十七m、後円部直径約六十七m、後円部高約九m、前方部幅約四十m

時代 古墳時代(五世紀後半)

指定年月日 昭和四十七年(1972)七月二十五日

丸保山古墳(まるほやまこふん)は、短い前方部を南に向けた帆立貝型古墳(ほたてかいがたこふん)で、周囲には濠が巡っています。

前方部の高さが著しく低いのは、昭和三十年(1955)の開墾で大きく削られてしまったからです。

後円部は二段に築かれているようです。

埋蔵部の構造や内容などは解っていませんが、円筒埴輪が採集されています。

採集された埴輪から、丸保山古墳(まるほやまこふん)は、五世紀後半頃に造られたものと考えられています。

丸保山古墳(まるほやまこふん)の西側には菰山塚古墳(こもやまづかこふん)があり、更に南側にもかつて古墳のような高まりがあったということです。

これらを含めて大山古墳(仁徳天皇陵)陪塚(ばいちょう)と考えられています。

帆立貝型古墳(ほたてかいがたこふん) 前方部の短い前方後円墳形の古墳。

陪塚(ばいちょう) 大型古墳の周囲に位置し、なんらかの関連を持つと考えられる同時代の小型の古墳。

平成十五年(2003)三月

堺市教育委員会』

※ 境内掲示より


古墳の南東角に八丈神社(はちじょうじんじゃ)が鎮座しています。


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