(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2013年02月19日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市上石切町 辻子谷水車郷


大阪府東大阪市上石切町にある「辻子谷(ずしだに)水車(すいしゃ)郷」です。

この辻子谷(ずしだに)は、個人的には「づしだに」という読みではないかと思っているのですが、昨今の仮名遣いは私の年代には難しくなってきたということでしょうか。

この辻子谷(ずしだに)は、小中学生の頃に遠足で何度も上っていますし、ボーイスカウトのハイキングでも相当な回数上下しています。

辻子谷(ずしだに)水車(辻子谷水車郷)は昔から有名であり、薬の原料を粉末にするのに使っていて、近鉄奈良線よりも下部では鉄線を水車の動力で加工する産業が反映していました。

この道を上下するときの「うこんの臭い」は未だに記憶に鮮明に残っていますが、今日はあまり嗅がなかったと感じています。

近鉄奈良線の石切駅から上ってくるのですが、山頂への最短ルートであったと記憶しています。

山頂に近づくに連れて傾斜はきつくなります。


辻子谷(ずしだに)水車(すいしゃ)

生駒山の西側山腹に深く刻み込まれた辻子谷(ずしだに)(音川)に沿ってつづく辻子越えの山道は、江戸時代に入って興福寺(こうふくじ)を経て宝山寺から生駒に通じる信仰の道として大いに利用されました。

この辻子谷(ずしだに)をはじめ生駒山麓の各谷では、谷川の水を利用して水車が設けられ、自家用に使用されていましたが、江戸時代における大坂の商業発展とともに、水車を工業に利用するようになり、水車動力を胴突・唐白に伝えて、各種製粉、油絞り、伸線加工などがおこなわれました。

とくに辻子谷(ずしだに)では、谷の奥深くまで水車小屋が並び、寛永年間(1624 - 44)に胡粉製造がはじまり元禄年間(1688 - 1704)以降は大坂の薬種問屋との取引により和漢薬種の細末加工が増え、明治から大正初めにかけて最大四十四両もの水車が稼動していた。

これらの水車は大正三年(1914)に大軌電車が開通した後の電力普及とともに減少しましたが、辻子谷(ずしだに)では芳香成分を含む薬種加工が主であったために、他の谷よりも永く水車が残され、昭和五十年頃まで細々と使われました。、

現在では、各種機会製粉機の発達にともない伝統産業として香辛料や生薬の粉砕業がつづいています。

平成十五年

東大阪市教育委員会』


以上のように説明文が掲示されています。

あまり興味はないのですが、蛍の里として復活させようと様々な取り組みがおこなわれているようです。

しかし、私が子供の頃にはクワガタムシやカブトムシもいたのですが、昨今ではそれも見かけないようですし、特定の昆虫だけを復活させることは難しいのではないかと思います。

他の動物の気配も殆どありませんし、歯車は全てを動かさないと難しいような気がします。


関連情報レポートリンク

辻子谷(ずしだに)