(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2012年05月15日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市天王寺区六万体 鳳林寺と一願一願不動明王


大阪市天王寺区六万体にある「曹洞宗 巖乗山 鳳林寺(ほうりんじ)と一願不動明王(ふどうみょうおう)」です。

この付近は四天王寺(してんのうじ)の北東部で西へ進むと谷町の寺院地域となります。

なんとも言えませんが、とにかく寺院が集合している地域になります。

正面から見ると「一願不動明王(ふどうみょうおう)」の石標の方が目立っています。戸も開いているので中を伺う事も手を合わせることも可能です。

鳳林寺(ほうりんじ)由来

当山は曹洞宗巖乗山鳳林寺(ほうりんじ)と称し、才篭存芸和尚の開基、天正十六年(1588)に創建された。

はじめ武蔵国岩付に在り、芳林寺と書いたが天正の終り豊臣秀吉公よりこの地を賜り岩付より移った。

元和元年(1615)徳川家康公より摂津一国僧録の朱印を授けられ、大本山永平寺より僧録状を受けた。

この頃当山の門前に鳳瑞あり、天下泰平の吉兆とて鳳林護国寺と改められた。

寛永から元禄年間にかけて佛殿を中心とした七堂伽藍が建立されるとともに寛永六年(1629)僧録司に任ぜられ朝廷からは論旨を賜り聖徳四年(1714)には大本山永平寺(えいへいじ)より常恒会地という格式を与えられている。

爾来江戸時代2百余年にわたり大阪城代の菩提寺として末寺十ヶ寺余を有し、畿内における曹洞宗第一の道場であった。

昭和二十年三月の大阪大空襲で七堂伽藍全て消失したが昭和三十四年本堂、山門等を再建した。

なお境内には大阪城代米倉丹後守代々、同じく安部摂津守代々、江戸期の俳人上島江戸期の俳人上島鬼貫、明治期大阪財界の重鎮松本重太郎等の墓碑がある。』

南へ進むと交差点で「平安大佛納骨永代供養堂」という看板が目に入って来ました。

こんなところに「大佛」という疑問符しか頭に浮かびません。