(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2012年05月05日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市北区天満橋 史跡 日羅公之碑


大阪市北区天満橋の源八橋北詰の大川河畔にある「日羅公之碑(にちらこうのひ)」です。

毛馬桜之宮公園に「源八渡し跡の碑」と並んで立っています。

日羅という人は、日本の歴史に残る人物であることは間違いなさそうですが、あまり知られていないということでしょうか。

何気なく立っている石碑の碑文は、漢文などが多くて読み解くには、知識が重要となります。

日羅公之碑

日羅公は肥後国芦北国造の子で敏達天皇の御代、久しく百済国に住んで政治の要路にあり非凡の知勇を内外に知られていた。

天皇は公の献策を用いて国勢の伸張をはかろうとせられ、公を召して帰国せしめられた。

公は御諮問に応えて民生外交に関し、種々献策したが、これを百済に不利として彼地より同伴してきたもののために暗殺せられることとなった。

一旦難波の小郡西畔丘前に収葬せられたが、此地はその初葬の地であるといわれる。

崎に顕彰に当たられた日羅公薫続記念会が、更に戦災による荒廃を修復せられたことは、時節柄まことに当を得たことと思い、ここに事蹟を記してその記念とする。

昭和三年六月

大阪市長 中井 光次 書』

情報によると『碑銘 公爵一條實孝閣下之書』となっています。

インターネット上の情報によると「摂津名所図会」に『僧日羅塚(そうにちらのつか) 天満同心町にあり。今詳らかならず。

『日本紀』云ふ「敏達天皇十三年、贄子大連・新手子連に詔して日羅を小郡の西畔の丘前に収め非らしむ」云々。

小郡とは西成郡をいふなり。大正時代の中ごろまでは同心1丁目に「日羅塚」と称する土饅頭(まんじゅう)があり、埋葬跡と伝えられたが整地のため取り壊された。

昭和13年(1938)、吉房末吉ら日羅を慕う有志らがこの碑を建て、近年現在地に移っている。』ということです。

更に『その後日羅の墓は数度の改葬の後、現在では父親の出身地である熊本県八代市坂本にあるという。なお、八尾市に日羅が建てたという日羅寺がある。』という情報もあります。

この日羅寺というのは、八尾市南木の本に鎮座する樟本神社の境内にある「日羅寺(日羅禅寺)」のことであると考えます。

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使用している数字等は、2010年08月00日の日本経済新聞等を参考にしています。

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龍王大神(りゅうおうおおかみ)