(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2011年11月22日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

大阪市旭区太子橋 平田渡しの跡


大阪府大阪市東淀川区豊里の淀川北岸の豊里大橋(とよさとおおはし)南西詰にある「平田渡しの跡」です。

当然ですが、対岸の大阪市東淀川区との渡しで、大阪市東淀川区豊里の淀川北岸の堤防上にも「平田の渡しの碑」があります。

中央環状線の鳥飼大橋(とりがいおおはし)よりも淀川を渡るのは豊里大橋のほうが楽です。

平田渡しの跡

平田の渡しに延宝四年以来淀川に詩情をただよわせつつ多くの人々に親しまれてきたが

このたび都市再開発の一環として豊里大橋が架設をされるに至り、294年の歴史を閉じた。

ここにこのことを記して長く名残を止める。

昭和四十六年三月三日

大阪市』

豊里大橋に同じ文言の碑が埋め込まれています。

平田渡

平田渡しは延宝四年(1676)頃、東淀川区豊里町と旭区豊里町を結ぶ個人経営の渡し船として発足、明治四十年府の個人経営許可がきれたのを境に公営となった。

大正十四年の市域拡張で大阪市営となったが請負制度により行われた。

大正八年に道路法が施行され平田渡しは、東淀川区(三八六号)というれっきとした認定道路となった。

明治四十年頃、大人二銭、小人一銭也の「渡し銭」は、この時から無料、当時は船頭が竿と櫓で上流へ漕ぎ上がり距離と流れを見計らってうまく対岸へつけたという。

昭和二十二年に職業安定法が施行され二十三年四月から市の直営となったが、その後周辺部の市街化で利用者が激増片道二十分もかかる二十人乗りの手漕船ではラッシュの時は積み残し、風雨の時は欠航となった。

そこで三十五年十月には二十一人乗りの発動機船、三十八年十二月には三十六人乗りの新造船を就航させ一日に三千人の乗客と六百七十台の自転車を運んだ。

昭和四十四年三月三日豊里大橋開通と共に淀川に残る唯一の渡舟場平田渡しはその姿を消した。

淀川百年記念の事業として淀川と史跡をしのぶ為、石は近畿管内の十津川産の自然石に入選作文字をきざみ標柱としました。』

歴史の深さを知ることができるのですが、歩いて渡るのは難しそうですし、泳ぐのもかなり疲れそうです。

清々しい気候の日でなんとも穏やかな気持ちになりました。