(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2011年08月03日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市天王寺区夕陽丘町 勝鬘院(愛染堂) Vol.1


大阪市天王寺区夕陽丘町にある「和宗 勝鬘院(しょうまんいん)(愛染堂:あいぜんどう)」です。公式HPは「愛染堂勝鬘院」です。

脇の道は何回も通っているのし「多宝塔」が見えているので、訪問しようと思っていたのですが、何年も経過してしまいました。

ここは6月30日から7月2日にかけて大阪の3大夏祭りのひとつ勝鬘愛染会(愛染祭り)で著名ですが、残念ながら私は訪問したことがありません。

見所満載のため「勝鬘院(愛染堂) Vol.2」に分割紹介しています。

名前だけは耳にたこができるくらい聞いていました。

本堂沿革

宝塔は推古天皇元年(593)聖徳太子の創建。

当寺は推古天皇元年、摂政聖徳太子が建立された四天王寺(してんのうじ)施薬院であって、太子がこの地で勝鬘経(しょうまんきょう)を講ぜられたので勝鬘院(しょうまんいん)と云う。

御本尊は愛染明王を奉安、愛染明王は衆生に愛敬福徳を授け給う本願があるので、愛敬開運・商売繁昌を祈る参詣者が跡を絶たない。

御本尊奉斉の愛染祭りは大阪年中行事夏祭りの先がけとして有名であり古く近松や西鶴の作品には北の新地や新町廓の麗人が宝恵篭詣をしたことが記され、今も南地や新世界新地の美妓が毎年宝恵篭詣で詣り、また今里新地の麗人が吉兆奉仕を行う。

現在の建物は豊臣秀吉公が慶長五年に再建せられ今日に至る。』

多宝塔

宝塔は推古天皇元年(593)聖徳太子の創建。

慶長二年(1597)豊臣秀吉が再建した。

高さ二十二メートル、建坪三十二平方メートル、三手先造り、本瓦葺き、極彩色。

様式は桃山時代で、当時の粋を集め豪華雄大、彫刻壁画亦妙技を尽くしている。

明治三十五年サンフランシスコで万国博覧会が開催された時、日本建築の代表として、この塔の模型を出展した。

明治四十二年国宝建造物に指定された。

御本尊は大日大勝金剛尊。

勝利開運の本尊として民衆の信仰が篤く、毎年愛染まつりに開扉される。』

『縁結びの霊木

愛染かつら

樹齢数百年といわれる巨大な桂の樹は、大阪大空襲で表面が焼けましたが、こうして生き残りました。

それにかずらが絡みつき一体となった姿は男性的な大樹の桂に寄り添う女性的なかづらとしてみられ、男女の縁を結ぶ霊木「愛染かつら」としてまつられるように成りました。

桂の木はハート形の葉を繁らせ、かづらは愛染祭の頃に可愛くなまめかしい花を咲かせます。

細い幹の桂の樹は、一世を風靡した松竹映画「愛染かつら」にちなんで、主演男優の吉田輝男さんが植樹された二世の桂の樹です。』

樹の根元に石で座れるようになっていて

哲学の椅子

背筋を伸ばしてどっしりと座り、観察・思索を行って発明・発見をしてください。』

と書かれています。どうですか、貴方もチャレンジしてみませんか。

もうひとつあります。

腰痛封じ

座席に背筋を伸ばしてお尻を引いて深く座ります。

背もたれの石の突起を背骨のつぼに当てます。

息を吐き出す度に背骨のつぼを押し当てます。

これを10回行います。』

と書かれています。どうですか、貴方もチャレンジしてみませんか。

もう一回はレポートを書かなければなりません。

大阪市天王寺区夕陽丘町 勝鬘院(愛染堂) Vol.2


関連情報レポートリンク

【西国愛染十七霊場一覧】