(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2011年06月30日】

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柏原市雁多尾畑 照曜山 光徳寺


大阪府柏原市雁多尾畑(かんりどばた)の「照曜山 光徳寺」です。

青谷から登って来て、寺の前を通ったときに門が開いているのと、藤の花の香りに引き付けられて中に入ってみました。藤棚が満開の花で良い香りを放っていました。

山中にも関わらず結構立派なお寺があることに気が付きました。

照曜山 光徳寺 その由緒

当寺は、今から一千年前、平安時代永廷二年(988)第六十四代円融皇王が延暦寺の僧法圓に命じて建立、東廣山照曜峰寺(天台宗)と号した。

その後、天永四年(1113)南都北嶺の戦いにおいて七堂伽藍悉く消失、ただ雁林堂(がんりんどう)一宇のみ残るこれが雁多尾畑(かんりどばた)の地名の由来である。

荒廃のまま百余年を経た鎌倉時代安貞二年(1228)圓城寺の僧俊圓、信貴山へ参詣、杣人(まきびと)(鎮守権現宮尊像)の案内により雁多尾の里松谷を訪れ雁林堂(がんりんどう)の木尊を拝し感涙、第八十六代後堀河天皇の勅願を仰ぎ寛喜元年(1229)照曜山光徳寺(松谷御堂)を建立、その節供田燈明料として山地境内三百町の御寄附を賜う。

その後、俊圓は寛元四年(1246)浄土真宗ご開山、親鸞聖人の念佛門に入り佛念房信乗と号す。

すなわち開基(初代住職)である。

寛喜の古鐘、龍水福井の井泉あり。

その後、土地は安土桃山時代天正五年(1577)織田信長公に没収され、建物は江戸時代慶長十九年(1614)和泉守の放火により消失。

現在の本堂は、明和八年(1771)山門鐘楼は宝暦年間(1760)太鼓楼は安永九年(1780)の建立である。

尚、飛び地境内として光徳寺地蔵堂が東方120mの所にあり鎌倉時代の梵鐘が現存しています。

・来いと光徳寺の照曜山の鐘は一里聞えて二里ひびく。

・葛城に狩する人の南無阿弥陀照曜山の入相の鐘。

昭和六十三年(1988)三月

真宗大谷派 光徳寺』

駐車場がどこかにあるのかは知りませんが、「JA大阪中河内堅上」から道なりに登ってたどり着きます。私が目印に結局発見できなかったのですが、柏原堅上郵便局から西へ向かうと門前にでます。

道路は狭いので駐車余地はありません。