(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2010年11月05日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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八尾市萱振町 高塚地蔵


八尾市萱振町にある「高塚地蔵(たかつかじぞう)」です。

大阪府立八尾北高校の南西角の石標で存在を知ることになりましたが、「史跡 萱振一号古墳(かやふりいちごうこふん)」と彫られているので探さなければと訪問しました。

今では路地のようになって、道では無いような雰囲気なのですが、「高塚地蔵(たかつかじぞう)」の位置をから考えても大阪府立八尾北高校の西側の通路が街道というか道筋であったと考えることが無理の無いような気がします。

高塚地蔵(たかつかじぞう)

像容端正、衣丈の線はなだらかで、摩滅が甚だしい。

右側に「正安三年二月八日 大施主」とあり、市内では二番目に古い石仏である。

大阪夏の陣のとき、若江合戦で大阪方の吉田内匠が、この地蔵堂の陰から槍をもって飛び出し、東軍の藤堂民部をおそったが、かえって討死にしたという。

またこの地からは、古墳時代前期の方形墳が発見されている。

八尾市教育委員会』

「古墳時代前期の方形墳」というのは、「史跡 萱振一号古墳(かやふりいちごうこふん)」のことでしょうか。

それとも「一号古墳」と読んでいるということは、「二号」「三号」とあるのでしょうか。

『1985年に行った府営住宅建替え工事に伴う調査では、古墳時代後期の「萱振2号墳」が見つかったが、この古墳の主体部は木棺で、6世紀中葉・古墳時代後期中葉の須恵器壺・高坏などの副葬品が残っていたと云う。

この時期の古墳は、生駒山地の西麓部に横穴式石室を主体部に持つ円墳を造るのが一般的であり、「萱振2号墳」の発見は、平野部に造られた古墳として、同時期の生駒山地西麓で造営された古墳とを比較する資料となったらしい。(http://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/1f68bc9817a4753b89fac0755bf39e36)』

ということで「萱振2号墳」もあるようです。

但し、八尾北高校の周辺には府営住宅が見当たりません。「萱振遺跡(かやふりいせき)」の説明に記載されているのですが、なんとも判断しかねる情報です。


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