(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年09月18日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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摂津市鳥飼下 史跡 鳥(養)飼の渡し跡


摂津市鳥飼下の「史跡 鳥(養)飼の渡し(とりかいのわたし)跡」です。

淀川堤防下の摂津市鳥飼西に鎮座する「藤森神社(ふじのもりじんじゃ)〔ふじもりさん〕」の一の鳥居脇に説明書きがありました。

淀川の堤防上には倉庫でしょうか建物と上流側に少し樹木の茂みが見えます。

鳥(養)飼の渡し(とりかいのわたし)

市内には「鳥飼上の渡し(とりかいかみのわたし)」「五久の渡し(ごきゅうのわたし)」「鳥飼の渡し(とりかいのわたし)」「願正寺渡し(がんじょうじわたし)」「一津屋の渡し(ひとつやのわたし)」などの渡し場があり、地域の人達によく利用され、親しまれた。

古くは慶長十九年(1614)片桐(かたぎり)且元(かつもと)が、大坂冬の陣を前に家臣とともに大阪城を退き茨木城(茨木市)に入った時、この「鳥養の渡し(とりかいのわたし)」を利用したと伝えられる。

その後、幕藩体制の中で許可制となった。

それまで民間で運営されていたが、昭和八年(1933)に大坂府営(無料)で利用されるようになった。

そして昭和二十九年(1954)に鳥飼大橋が完成したが、この渡しは昭和五十年(1975)淀川改修工事まで存続し、淀川本流最後の渡しは運航を停止した。

平成十九年四月』

一津屋の渡し(ひとつやのわたし)」は、摂津市一津屋に鎮座する「味生神社(あじふじんじゃ)」の鳥居脇に説明書きがありました。

藤森神社(ふじのもりじんじゃ)〔ふじもりさん〕」の宮司様から頂いた説明書きにも同様の内容の説明があります。

内容が少し違うので紹介させていただくことにします。

鳥養の渡し(とりかいのわたし)

この渡しは、大正時代の中頃にそれまで別々に運航していた「治歩多渡し(じぶたわたし)」と「願正寺渡し(がんじょうじわたし)」が合併してできたので地域の人々によく利用され、親しまれました。

古くは、慶長十九年(1614)片桐且元(かたぎりかつもと)が大坂冬の陣を前に家臣とともに大阪城を退き茨木城(茨木市)に入りましたが、その時に、この「鳥養の渡し(とりかいのわたし)」を利用したと伝えられています。

その後徳川幕府は寺社奉行に管理させ許可制としました。

明治以降は民間運営され、昭和八年に大阪府の管理運営となり、そして昭和二十九年の鳥飼大橋の完成及び昭和五十年淀川改修工事に休航し、淀川最後の渡しとなりました。』

内容的にはほぼ同じなのですが、『「治歩多渡し(じぶたわたし)」と「願正寺渡し(がんじょうじわたし)」が合併』については大きく情報がことなります。

どうなっているのでしょうか。