(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年09月07日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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八尾市本町 真宗大谷派 福井山 慈願寺


八尾市本町にある「真宗大谷派 福井山 慈願寺(じがんじ)」です。

幾度も前を通りながら歩を止めることをしなかったのですが。今日は門も開いているように思いましたので中に入ってみることにしました。

鐘楼(しょうろう)脇の桜の木にサクランボの実がなっていましたので、桜の季節に訪問するのも良いのではないかと思います。

慈願寺(じがんじ)

慈願寺(じがんじ)は、真宗大谷派(東本願寺末)で福井山と号し、開基は信願房法心(しんがんぼうほうしん)です。

法心は親鸞聖人(しんらんしょうにん)の関東での布教活動の際に帰依した人物で、親鸞聖人(しんらんしょうにん)直第24輩のうち13番目に数えられます。

弘安三年(1280)に聖人の違命により、この法心によって久宝寺村に建てられた道場が慈願寺(じがんじ)の始まりであると伝えられます。

15世紀後半、本願寺第八代蓮如上人(れんにょしょうにん)の時代には、その布教活動の先導役をつとめ、久宝寺寺内町の基礎をつくりました。

慶長十一年(1606)、久宝寺寺内町の庄屋。年寄間の主導権争いが表面化し、その後、森本七郎兵衛ら十七人衆らと共に八尾の地に移りました。

現在の本堂は、文化十一年(1814)の火災で消失した後に再建されたもので、その他境内には、経蔵(きょうぞう)手水屋(ちょうずしゃ)鐘楼(しょうろう)太鼓楼(たいころう)・表門・脇門・築地塀(つきじべい)などが残っており、真宗寺院の景観をよく伝えています。

平成十八年三月

八尾市教育委員会』

お寺のレポートが少ないのは、門がしまっていることが多いのと、お寺は門が開いていてもご本尊を拝めなかったりすることが少なくないのであまり無理から中に入ろうと思いません。

葬式仏教などと揶揄されてしまう原因の一つではないかと思っています。

しかし、立派なお寺です。