(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2010年08月26日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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南河内郡太子町山田 科長神社


南河内郡太子町山田に鎮座する科長神社(しながじんじゃ)です。

結構立派な神社ですが、太子町の集落の東の端に当たる場所にあるような気がしました。

鳥居前をほぼ西へ真っ直ぐに伸びる鳥居前の道を信じて進んでみたら行き止まりで戻ってくることになり疲れが倍増しました。

科長神社(しながじんじゃ)

科長神社(しながじんじゃ)は、平安時代の『延喜式(えんぎしき)』という書物に記録された、いわゆる式内社(しきないしゃ)と呼ばれる由緒のある神社で、級長津彦命(しながつひこのみこと)級長津姫命(しながつひめのみこと)など8柱を祀るために、八社大明神とも呼ばれています。毎年7月24日から30日の間の日曜日の例祭には、神輿(みこし)地車(だんじり)5台が出されて賑わいます。

社宝には神功皇后(じんぐうこうごう)が使用したと伝える雛形の小さな兜があります。』

『蘇我倉山田石川麻呂の本貫地である山田村の東端の高みにあり、北西600mに孝徳(こうとく)天皇陵、西800mに推古(すいこ)天皇陵があり、社頭の丘上に小野妹子(おののいもこ)の墳墓がある。王陵の谷といわれる一角に鎮座する。

当地は河内・大和両国の境に近く、山田谷から竹ノ内(たけのうち)峠への谷が、二上山と葛城山との峡になり、風の道に当る故に、風神が祀られたのは、古代信仰上、当然のことで、この神の祭祀の古さを示すものであろう。

末社恵比須神社(えびすじんじゃ)、一名土祖神社の祭神を息長宿禰(おきながのすくね)高額姫命(たかぬかひめのみこと)だとすれば、この二神が土着神だとも考えられ、この地に創建された神社と思われる。

社伝によれば、科長神社(しながじんじゃ)はもと二上山上に祀られていて、二上権現と称したが、四條天皇の暦仁元年(1238)に、現地へ遷座することとなり、恵比須神社(えびすじんじゃ)は末社とされるに至ったという。

一説には元禄以前は二上山上とも言う。

式内社(しきないしゃ)調査報告』は「考えるに、当社は、級長戸辺命(級長津彦命(しながつひこのみこと))を祀る古社として発祥し、級長(しなが)はシナガと訓ぜられ、磯長という地名を生み、磯長から息長が導き出されて、神功皇后(じんぐうこうごう)御降誕地伝説を生むに至つたのではあるまいか。また、藤原頼孝が、二上権現を遷座させた時に、藤原の祖先神(天児屋根命(あまごやねのみこと)武甕槌命(たけみかづちのみこと)経津主命(ふつぬしのみこと))を勧請し、科長神社(しながじんじゃ)なる旧社名を抑へて、八社大明神の神号を称えさせたのであろらう。」としている。

当地は神功皇后(じんぐうこうごう)誕生地と伝えられ、社宝として神功皇后(じんぐうこうごう)雛形の兜がある。(http://www.geocities.jp/engishiki01/kawachi/html/040102-01.html)』

小野妹子(おののいもこ)墓が隣接する山の上にあります。

鳥居脇の階段を登って見に行くことにします。


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