(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年08月24日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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南河内郡太子町太子 大僧正隆光墓


南河内郡太子町太子の「史跡 大僧正隆光(りゅうこう)墓」です。

「史跡 源氏三代(げんじさんだい)の墓」の「史跡 源 義家(みなもとのよしいえ)の墓」の東側に一列に並んだ墓石群とは別に南側に説明書きと並んで存在します。

時代は源氏三代の墓から遅れて江戸時代の話のようです。


『史跡大僧正隆光(りゅうこう)

隆光は多田義直の上表の時、柳沢吉保と共に尽力した人物で、将軍綱吉の学僧であり江戸護持院の住職をつとめ、いわゆる「生類哀れみの令」(1687 - 1709)を公布させた人物であった。

そのため綱吉の死後は役目御免の扱いを受け自分が世話をしてきた通法寺(つうほうじ)の住職に左遷させられ、のちに奈良市二条町付近の自宅で死去したが、この通法寺(つうほうじ)においても隆光の分骨所としての墓碑が残される。

〔生類哀れみの令〕

生類奉行をおいて実施した。

綱吉が戌年だったので犬に大してはことに厳重で1695年、江戸中野の犬小屋で養われた野犬だけでも10万頭に達し、その費用は江戸市民に課せられた。

綱吉の儒・仏教愛好心と迷信好きからもたらされたこの政策は、悪性として世人の不満を買った。』


史跡 源 頼信(みなもとのよりのぶ)の墓」はビニールハウスの南西方向に大樹が見えるのですがその森の中にあります。

ビニールハウスの突き当たりから西を向くと見えてきます。

せっかくここまで登ったのですから必ず見にいきましょう。

史跡 源 頼信(みなもとのよりのぶ)の墓」と「史跡 大僧正隆光(りゅうこう)」は台地を上がった直ぐにありますが、「史跡 源 義家(みなもとのよしいえ)の墓」は奥のビニールハウスの向こうになります。

せっかくここまで上がってきたら忘れないで訪問しましょう。

ちなみに「史跡 源 頼義(みなもとのよりよし)の墓」は、「史跡 通法寺(つうほうじ)」の中にあり東の橋に立っている石碑の説明文の「史跡 源氏館(げんじやかた)」は、実際は羽曳野市壺井に鎮座する「壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)」ではないかと推測されているようです。

歴史が凝縮されているようです。