南河内郡太子町太子の「史跡 大僧正隆光墓」です。
「史跡 源氏三代の墓」の「史跡 源 義家の墓」の東側に一列に並んだ墓石群とは別に南側に説明書きと並んで存在します。
時代は源氏三代の墓から遅れて江戸時代の話のようです。
『史跡大僧正隆光墓
隆光は多田義直の上表の時、柳沢吉保と共に尽力した人物で、将軍綱吉の学僧であり江戸護持院の住職をつとめ、いわゆる「生類哀れみの令」(1687 - 1709)を公布させた人物であった。
そのため綱吉の死後は役目御免の扱いを受け自分が世話をしてきた通法寺の住職に左遷させられ、のちに奈良市二条町付近の自宅で死去したが、この通法寺においても隆光の分骨所としての墓碑が残される。
〔生類哀れみの令〕
生類奉行をおいて実施した。
綱吉が戌年だったので犬に大してはことに厳重で1695年、江戸中野の犬小屋で養われた野犬だけでも10万頭に達し、その費用は江戸市民に課せられた。
綱吉の儒・仏教愛好心と迷信好きからもたらされたこの政策は、悪性として世人の不満を買った。』
「史跡 源 頼信の墓」はビニールハウスの南西方向に大樹が見えるのですがその森の中にあります。
ビニールハウスの突き当たりから西を向くと見えてきます。
せっかくここまで登ったのですから必ず見にいきましょう。
「史跡 源 頼信の墓」と「史跡 大僧正隆光墓」は台地を上がった直ぐにありますが、「史跡 源 義家の墓」は奥のビニールハウスの向こうになります。
せっかくここまで上がってきたら忘れないで訪問しましょう。
ちなみに「史跡 源 頼義の墓」は、「史跡 通法寺跡」の中にあり東の橋に立っている石碑の説明文の「史跡 源氏館跡」は、実際は羽曳野市壺井に鎮座する「壺井八幡宮」ではないかと推測されているようです。
歴史が凝縮されているようです。
































































































































































































