(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年08月20日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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南河内郡太子町太子 史跡 源氏三代の墓


南河内郡太子町太子の「史跡 源氏三代(げんじさんだい)の墓」です。

羽曳野市壺井に鎮座する「壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)」の台地に驚いていたのですが、源氏三代の墓もおなじような台地の上にあります。

竹やぶの中を登っていかなければなりません。

『史跡 源氏三代(げんじさんだい)の墓

源氏三代の墓(源頼信(みなもとのよりのぶ)源頼義(みなもとのよりよし)源義家(みなもとのよしいえ))は、河内源氏の里、通法寺付近にある。

頼信は、河内守(かわちのかみ)に任官後この地に邸宅を構え、数々の戦乱を平定し、余生をここで過ごしたが、永承三年(1048)に死去しその遺言により通法寺の「巽」の方角に葬られた。

頼義の墓は通法寺旧本堂址にあり、永保二年(1082)79才で死去し、遺言により本堂の床下に葬られたが、後に現在の位置に移された。

義家の墓は、通法寺の南東の丘陵上にある小高い円丘である。嘉承元年(1106)七月、京都の邸宅で死去し、ここに葬られたという。

羽曳野市』


史跡 源頼信(みなもとのよりのぶ)の墓」と「史跡 大僧正隆光(だいぞうじょうりゅうこう)の墓」は台地を上がった直ぐにありますが、「史跡 源義家(みなもとのよしいえ)の墓」は奥のビニールハウスの向こうになります。

せっかくここまで上がってきたら忘れないで訪問しましょう。

ちなみに「史跡 源頼義(みなもとのよりよし)の墓」は、「史跡 通法寺(つうほうじ)」の中にあり東の橋に立っている石碑の説明文の「史跡 源氏館跡(げんじやかたあと)」は、実際は羽曳野市壺井に鎮座する「壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)」ではないかと推測されているようです。

歴史が凝縮されているようです。