(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年08月18日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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羽曳野市通法寺 史跡 源氏館跡


羽曳野市通法寺の「史跡 源氏館(げんじやかた)跡」です。

隣接する「史跡 通法寺(つうほうじ)」や中にある「史跡 源 頼義(みなもとのよりよし)の墓」と史跡が密集しています。

羽曳野市壺井に鎮座する「壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)」にも同じような歴史の説明が見られました。


『史跡源氏館(げんじやかた)

平安時代後半になって、急速に武士が力を伸ばし始めた頃、源満仲(みなもとみつなか)の三男頼信は河内守となって、寛仁四年に河内国古市郡壺井里のの香呂峯(こうろほう)に居館を構えて本拠地とした。

数々の武功によって、大きな勢力を築いた名族、河内源氏の始まりである。

頼信とその子頼義、孫の義家らは、平忠常(たいらのただつね)の乱(1028 - 30)や、前九年の役(ぜんくねんのえき)跡(1051 - 62年)、後三年の役(ごさんねんのえき)(1083 - 87年)などの相次いだ戦乱で活躍し、関東、東北地方へも地盤を広げていった。

彼らの子孫には、鎌倉幕府を開いて将軍となった頼朝(よりとも)や、その弟義経(よしつね)などがいる。

頼信らが住んだ館の跡は、壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)が鎮座する丘の上にあると伝えられている。

今のところ、場所や規模などを知る具体的な手がかりはないが、武家の棟梁にふさわしい屋敷が造られ、たくさんの武士達が集まっていたことだろう。』


これだけ説明が豊富であると見て回っても飽きません。

歴史に興味のある人には珠玉のスポットであることは間違いなさそうです。