羽曳野市通法寺の「国指定史跡 源 頼義の墓」です。
地図には表示があるのですが訪問するのは初めてです。
「史跡 通法寺跡」の中にありますので、見落とさないようにしましょう。
『国指定史跡源 頼義の墓【988 - 1075】
源 頼義の墓は父頼信、母修理命婦の長男として生まれた。
平忠常の乱の際、父を助け乱の鎮圧に貢献し、はやくからその武勇を東国武士に知らしめていた。
永承六年(1051)「浮囚の長」である安倍頼良(のちの頼時)が反乱をおこした際、乱の鎮圧にあたった。
一旦は頼時を従わせたがその後貞任がふたたび謀反をおこしたため、出羽豪族清原の授を得て、康平五年(1062)ようやく乱を平定した(前九年の役)。
また頼義は前九年の役の出陣に際して、石清水八幡宮に参拝して戦傷を祈願し戦功をあげることができたので、その感謝の意味をこめてこの地に八幡神を勧請し、通法寺の北側に壺井八幡宮を建立、源氏の氏神とした。
承保二年(1075)七月十三日、八十八歳でその生涯を閉じ、通法寺境内に葬られたといわれている。
羽曳野市』
「史跡 源 頼信の墓」と「史跡 大僧正隆光墓(だいぞうじょうりゅうこうはか)」は台地を上がった直ぐにありますが、「史跡 源 義家の墓」は奥のビニールハウスの向こうになります。
せっかくここまで上がってきたら忘れないで訪問しましょう。
ちなみに「史跡 源 頼義の墓」は、「史跡 通法寺跡」の中にあり東の橋に立っている石碑の説明文の「史跡 源氏館跡」は、実際は羽曳野市壺井に鎮座する「壺井八幡宮」ではないかと推測されているようです。
歴史が凝縮されているようです。
河内源氏などと歴史を学んでいる人が口にする源氏の本拠地がこの周囲になるということのようです。
































































































































































































