(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年08月09日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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羽曳野市通法寺 史跡 源 頼義の墓


羽曳野市通法寺の「国指定史跡 源 頼義(みなもとのよりよし)の墓」です。

地図には表示があるのですが訪問するのは初めてです。

史跡 通法寺(つうほうじ)」の中にありますので、見落とさないようにしましょう。

『国指定史跡源 頼義(みなもとのよりよし)の墓【988 - 1075】

源 頼義(みなもとのよりよし)の墓は父頼信(よりのぶ)、母修理命婦(しゅりのみょうぶ)の長男として生まれた。

平忠常(たいらのただつね)の乱の際、父を助け乱の鎮圧に貢献し、はやくからその武勇を東国武士に知らしめていた。

永承六年(1051)「浮囚(ふしゅう)の長」である安倍頼良(あべのよりよし)(のちの頼時(よりとき))が反乱をおこした際、乱の鎮圧にあたった。

一旦は頼時を従わせたがその後貞任(さだとう)がふたたび謀反をおこしたため、出羽豪族清原の授を得て、康平五年(1062)ようやく乱を平定した(前九年の役(ぜんくねんのえき))。

また頼義は前九年の役の出陣に際して、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に参拝して戦傷を祈願し戦功をあげることができたので、その感謝の意味をこめてこの地に八幡神を勧請(かんじょう)し、通法寺の北側に壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)を建立、源氏の氏神とした。

承保二年(1075)七月十三日、八十八歳でその生涯を閉じ、通法寺(つうほうじ)境内に葬られたといわれている。

羽曳野市』


史跡 源 頼信(みなもとのよりのぶ)の墓」と「史跡 大僧正隆光墓(だいぞうじょうりゅうこうはか)」は台地を上がった直ぐにありますが、「史跡 源 義家(みなもとのよしいえ)の墓」は奥のビニールハウスの向こうになります。

せっかくここまで上がってきたら忘れないで訪問しましょう。

ちなみに「史跡 源 頼義(みなもとのよりよし)の墓」は、「史跡 通法寺(つうほうじ)」の中にあり東の橋に立っている石碑の説明文の「史跡 源氏館(げんじやかた)」は、実際は羽曳野市壺井に鎮座する「壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)」ではないかと推測されているようです。

歴史が凝縮されているようです。

河内源氏などと歴史を学んでいる人が口にする源氏の本拠地がこの周囲になるということのようです。