南河内郡太子町太子の「史跡 源 頼信の墓」です。
<p>羽曳野市壺井に鎮座する「壺井八幡宮」の台地に驚いていたのですが、史跡 源氏三代の墓もおなじような台地の上にあります。しっかりと見落とさないようにしましょう。
『国指定史跡源 頼信の墓【968 - 1048】
源頼信は、清和源氏の家系である満仲の三男として生まれた。
二十歳のとき中央官界に身を置き、藤原道家や道長に仕えた。
特に、長元元年(1028)に勃発した平忠常の乱の際には、追討使平直方にかわり反乱を鎮圧した。
この乱を鎮圧したことによって、頼信は武家の頭梁としての確固たる地位を築いた。
また、上野・常陸・伊勢・美濃などの国司を歴任しており、最後に河内国司となる。
その時、河内国古市郡壺井里(現壺井・通法寺)に本拠地を構え、河内源氏をひらくもとになった。
長久元年(1043)には、頼義とともに観音堂(のちの通法寺)を建立したと伝えられ、代々河内源氏の氏寺として信仰された。
永承三年(1048)、八十一歳の時この地で死去し、遺言により通法寺の巽(東南)の丘陵上に葬られた。
羽曳野市』
「史跡 源 頼信の墓」と「史跡 大僧正隆光墓」は台地を上がった直ぐにありますが、「史跡 源 義家の墓」は奥のビニールハウスの向こうになります。
せっかくここまで上がってきたら忘れないで訪問しましょう。
ちなみに「史跡 源 頼義の墓」は、「史跡 通法寺跡」の中にあり東の橋に立っている石碑の説明文の「史跡 源氏館跡」は、実際は羽曳野市壺井に鎮座する「壺井八幡宮」ではないかと推測されているようです。
歴史が凝縮されているようです。
































































































































































































