(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年08月11日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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羽曳野市通法寺 史跡 通法寺跡


羽曳野市通法寺の「史跡 通法寺(つうほうじ)跡」です。

地名もruby>通法寺(つうほうじ)なので、この寺の名称がそのまま地名になったという理解で間違いないということなのでしょうか。

狭いエリアに歴史が圧縮されて詰まっているようです。

『史跡通法寺(つうほうじ)

羽曳野市壺井(つぼい)河内源氏(かわちげんじ)発祥(はっしょう)の地として知られていますが、この壺井(つぼい)通法寺(つうほうじ)は長久四年(1043)に河内国司(こくし)であった源頼信(みなもとのよりのぶ)が小堂を建てたことから始まります。

前九年の役(ぜんくねんのえき)(1051 - 62年)の時、東北地方で活躍した源頼義(みなもとのよりよし)浄土教(じょうどきょう)帰依(きえ)阿弥陀仏(あみだぶつ)を本尊)としてから河内源氏の菩提寺(ぼだいじ)となり源氏の隆栄(りゅうえい)と共に栄えました。

南北朝時代(約700年前)には、戦火にあい建物を消失しましたが江戸時代になって源氏の子孫・多田義直(ただよしなお)が五代将軍綱吉(つなよし)に願い出て柳沢吉保(やなぎさわよしやす)らが普請奉行(ふしんぶぎょう)となって再建しました。

ところが明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により現在のように、山門(さんもん)鐘楼(しょうろう)などを残すだけとなってしまいました。

なお、ここには源頼義の墓があり東方約200mの丘陵にはその父・頼信と子義家(よしいえ)の墓もあります。』


廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)というのは、けっこう無茶なことをしたようです。

中国でも毛沢東の共産党革命で紅衛兵が寺院などを破壊したことが知られています。

そうでなくとも他宗教を排斥しようとする力は今でもうごめいていることは確かです。

他宗教を認められないと、自宗教も認められないことに早く気付くべきであると思うのですが結構難しそうです。

東の端には「源氏屋敷跡」の石碑も建っていました。