(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年08月05日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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南河内郡太子町春日 用明天皇陵


南河内郡太子町春日の用明天皇(ようめいてんのう)陵です。「太子町HP」

この御陵への坂道の途中までは仕事の関係で数十回も来ていたのですが、この御陵の存在を知っていましたが見にきたこともありませんでした。

人が興味を持つか持たないかで動機が人間の行動や認識には非常に重要であるということでしょう。


用明天皇(ようめいてんのう)

第31代用明天皇(ようめいてんのう)は、『日本書紀』によれば、磐余の池上の陵に葬られますが、その後、推古元年(593)に「河内の磯長の陵」に改めて葬ったと記録されています。

用明天皇(ようめいてんのう)陵は、東西65メートル、南北60メートル、高さ10メートルの方墳で、周囲には幅7mの空濠を巡らせており、この濠の外堤までを含めた規模は、一辺100メートルに達する巨大な規模を有しています。墳丘規模や形は、蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳とよく似ています。』


申し訳ありませんが、小さな天皇陵でも天皇家に関係があると位置づけられた古墳とそうではない古墳の管理には天と地ほどの開きがあります。

どちらも御陵ですし、埋葬者がいるのに何が異なると言うのでしょうか。

鬱蒼とした緑に覆われる天皇家縁の御陵との大きな差を感じざるを得ません。

それよりも、墓暴きになるのでしょうが、そろそろ全古墳の調査を実施する時代になったように思います。

天皇家の血筋の正当性などではなく、遺物による正式な年代の判定など、古事記や日本書紀に残されなかった歴史を発掘するということが重要なのではないでしょうか。

良し悪しではなくあまりにも偏った歴史になっているような気がしてなりません。

私がこのように考える根拠は、古墳があるのに歴史に現れない方がおかしいということからです。


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