
羽曳野市壺井に鎮座する壺井八幡宮です。府指定史跡と看板にあります。
私は南側の鳥居から急坂を登って到着したのですが、南側の石段下の鳥居脇には「史跡 清泉 「壺井」」があります。
また南側の鳥居から真南へ約1kmの直線道路があります。
馬場だったのでしょうか。

『壺井八幡宮
このあたりは壷井の香炉峯といわれ、河内源氏発祥の地として知られており、平安時代の中期の寛仁四年(1020)、源頼信が河内守に任官してこの地に私邸を営み、康平七年(1064)に前九年の役を平定した頼義(頼信の子)が石清水の神を私邸の東側に勧請したのが本宮の起源である。

また左側にある壺井権現社は、源義時(義家の五男)が河内源氏の祖神として天仁二年(1109)に創祀したものである。
現社殿は、両者とも元禄十四年(1701)に徳川綱吉の命で柳沢吉保が再建したものである。』

『府指定史跡壺井八幡宮境内
(昭和五十二年三月三十一日指定)
この台地は千二十年に源頼信が河内守に赴任直後、河内源氏の本拠と定めた香炉峯の一角に当るが、その後千六十四年、前九年の役を平定した源頼義が石清水の神を勧請し、守護神として創建したのが始まりである。
現八幡宮及び権現社は元禄期に綱吉の命で再建されたものを平成に復原修理されたものです。
平成二十一年三月
大阪府教育委員会
羽曳野市教育委員会』

壺井八幡宮は極端な台地の上にあります。
自然の山城といった感じの地形です。
少し南へ行くと羽曳野市通法寺には「源頼義墓、〔史跡 通法寺跡〕や南河内郡太子町太子には「源義家墓」や「源頼信墓」などと案内されていますので山を登らなくても訪問できるということでこちらへ向かうことを薦めます。