(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年07月27日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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羽曳野市広瀬 広瀬八幡宮


羽曳野市広瀬に鎮座する広瀬八幡宮(ひろせはちまんぐう)です。

鳥居の額には旧字で「廣瀬八幡宮(ひろせはちまんぐう) 」と墨書きされています。

どうやら、今回はまわる順を誤ったようで、石川の東岸に行くためには上流にも下流にも1km以上行かないと橋がありません。

壷井八幡宮(つぼいはちまんぐう)は丁度真東位になりますので、経路を間違えました。

広瀬八幡宮(ひろせはちまんぐう) 由緒略記

広瀬は昔、壷井村字広瀬と呼ばれておりましたが慶長年中(1596?1615)に壷井八幡宮(つぼいはちまんぐう)の社家、多田家より分家した大黒小左衛門の子息清右衛門により新田開発され新町村となる。

この新田開発の際、清右衛門は壷井八幡宮(つぼいはちまんぐう)を勧請し広瀬神社(ひろせじんじゃ)と称之新田の守護を祈願されたのであります。

当時境内地は、東西十五間、南北二十五間で外廻りに堀がめぐらされてありました。

江戸時代には祭礼が盛んで境内内に放生池もあり、八月十五日(旧暦)には放生会(ほうじょうえ)があり御神輿の渡御も盛大に行われ現在の児童グランド前あたりに御旅所(おたびしょ)を設けられていたようである。

以後明治時代に政府の方針により各地の神社を統合し壷井八幡宮(つぼいはちまんぐう)に合祀され太平洋戦争終戦後元の広瀬境内に分祀され広瀬八幡宮(ひろせはちまんぐう)と称し地域の守護神として神事を行い現在に至っている。

御神徳は厄除け、安座、五穀豊穣、家内安全、無病息災に霊験あらたかであります。』

由緒略記を見ると今の広瀬の家が建っている場所もということでしょうか。

約270m×450mの広さは一反(約三百坪)以上になり相当なものがあります。

それにしても村落から神社だけが田んぼにつきたしたようになっていて、かなり離れたところから見えていたのですが、たどり着くにはかなり大回りになりました。

これから壷井八幡宮(つぼいはちまんぐう)を目指して石川の西岸から東岸へ移動するのに橋を上流側か下流側か思案しなければなりません。


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