(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年06月12日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市日下町 史跡 日下貝塚之碑


東高野街道を妻と市場縄から南下してきたのですが、大東市から東大阪市に入ってしばらくして「史跡 日下貝塚之碑(くさかかいづかのひ)」前に差し掛かりました。

小学校の教科書にも載っていて、前回訪問した時に探し歩いて民家の玄関先に立っているのにビックリしました。

隣接するJAの敷地にも碑がありました。

日下貝塚(くさかかいづか)之詩

その昔、大阪湾は「茅淳(ちぬ)の海」と呼ばれていた。

生命の母なる「茅淳(ちぬ)の海」は、河内の入り海として大きく生駒の山麓まで押し寄せてこの地を長らく「河内湾」と呼ぶ時代が続いた。

「まだ「稲作り」を知らない古代の人々

食糧はすべて 海から 山から 自給自足

前には 海の幸をもたらす 豊漁の海

後ろには 山の幸いっぱいの 扇状大地」

古代の人々の住む、ここは水の清らかな、一等地、男は生駒山でけものを追いかけ、女や子どもは海辺へ出て貝を拾い集めた。

その数々の海の幸は

「セタシジミ・オオタニシ・イケチョウガイ・チリメンカワニナ・マガキ・フトヘタナリ・ハイガイ・カガミガイ・ハマグリ・ウチムラサキ・サザエ……」

彼らの日常生活の糧、それらすべては「日下貝塚」深い土の下に今でも眠り、よく保存されている。

日下貝塚(くさかかいづか)」:それは畿内で最も栄えた或る時代を証明する歴史の宝庫

「日本(にっぽん)」の古い読み方それは「ヒノモト」そしてまた「日下(クサカ)」も???「ヒノモト」或いは国名「日本」の地名の発祥地、出発点こそは、この「日下地方」にあったのではなかい?!

こんな研究まで、今、歴史の諸説が飛び交う。

孔舎衛・草賀・草香・久佐迦・みんな「くさか」と読む。その生きた証人こそ、繁栄を物語る。

「日本の貝塚」伝えの越したい。私たちの歴史のふるさと!!

作詞 奥田 哲郎 郷土史研究家』

立派な詩です。

ただ、『孔舎衛・草賀・草香・久佐迦・みんな「くさか」と読む』には、かなやカナがなくて漢字を音に充てただけで意味はないと思います。