(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年06月11日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大東市寺川 七つ橋地蔵尊と地蔵広場


「東高野街道」沿いに四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)から慈眼寺(じかんじ)(野崎観音(のざきかんのん))を経由して生駒山麓を南下してきました。

いよいよ大東市から東大阪市に入ろうとしています。

四辻の一角に地蔵堂となにやら説明書きがあります。

内容は歴史に関係することなどですので紹介します。


私たちのふるさと寺川の河畔

寺川地域の今日ある礎を作ってきた悠久の自然と歴史は、地域のいたる所に片鱗を覗かせている。

埋蔵文化財としての考古遺跡、社寺仏閣を含むさまざまな建造物、意私物や道標、街並みや地名そのものが長い歴史を感じさせる場所であります。

生駒山系より流れる渓流の甘田川、近年、雨量の増水や土砂災害から生命や財産を保全する目的に、平成六年(1994)に大阪府枚方土木事務所が寺川(甘田川)渓流保全工事に着手されました。

この渓流は六月に入るとホタルが乱舞し、すぐ東には、金のにわとり伝説の堂山古墳群が存在します。

この地は歴史遺産と自然環境が融合した山里であります。

ここ砂防広場は通称小字名を瓦堂(かわらどう)と古くから言い伝えられ、七堂伽藍の建ち並ぶ霊場でした。

寺川の村名の由来もここからきています。

この寺院は聖武天皇が勅命を下され、神亀四年(732)に、行基(ぎょうき)菩薩が開創し、七堂伽藍が建ち並んでいました。

寺院もいつかの兵火に焼かれてなくなり、礎石のみが残りました。

その後、江戸時代の貞享(じょうきょう)二年(1685)に、寺川や野崎を領した郡山藩の大名が、石を掘り起こし田や畑に開梱いたしました。

この度渓流保全工事で、これらの礎石の残石が大量に出土し、礎石を砂防広場と地蔵広場に(モニュメント)設置しました。

また、用地や地域の自然環境の保全に当たっては、大阪府枚方土木事務所に配慮いただきました。

完成記念を祝詞し、関係者の方々に深甚の謝意を申し上げます。

平成十八年五月 吉日

寺川(甘田川)渓流保全工事完成記念 ー略ー』


ところで、ここは「砂防広場」か「地蔵広場」かどちらでしょうか。

素直に考えると「地蔵広場」なのでしょう。

そうなると「砂防広場」はどこにと思ってしまいました。

大東市中垣内に鎮座する「須波摩神社(すはまじんじゃ)(須波麻神社)」の石燈篭が街道沿いにありました。