(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年06月03日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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枚方市招提南町 日置天神社(史跡 日置山遺跡)


枚方市招提南町に鎮座する日置天神社(ひおきてんじんじゃ)です。

枚方の地形図を紛失して、改版後に購入しようとしているのでここに至るまでの道中は手探りの状態でたどり着きました。

流石に途中が無いのは辛いのですが、今日はどの辺までたどり着けるのか楽しみです。

日置天神社(ひおきてんじんじゃ)

日置天神社(ひおきてんじんじゃ)には、惟喬(これたか)親王(しんのう)(844-897)が交野ケ原で遊猟したとき、愛鷹の姿が見えなくなったので、日没を惜しんで、『日を止め置かせ給え』と天神に祈願したという伝承がある。

中世におけるこの付近は、東高野街道(ひがしこうやかいどう)筋に発達した集落(日置郷)として賑わい、社寺が甍をきそっていたという。

しかし、南北朝期の動乱に際し、たびたび戦禍に見舞われ、十四世紀中頃には民家・堂塔ともに灰燼に帰したと伝えられる。

その後十六世紀中頃、真宗八世蓮如の六男・蓮淳を招いて当地を寺内村(招提寺内村)として再開発したおり、当社を寺内鎮守として再建したと伝える。

1995年 枚方市教育委員会』

日置山遺跡(ひおきやまいせき)

日置山遺跡(ひおきやまいせき)は、日置天神社境内とその周辺を指し、かつてはタニシの貝塚として知られていたが、昭和57年の発掘調査により、中世の貝層をはじめ、溝・土坑などが確認された。

また、日置郷の開発のために破壊された古墳(方形墳)と考えられる遺構を検出した。

このように、日置山遺跡(ひおきやまいせき)は古墳時代から中世までの複合遺跡で、周辺には、日置千軒と伝えられる繁栄の跡が眠っているものと思われる。』

枚方市は私のイメージと異なり、波板のような地形であると結論づけた私ですが、村野浄水場までの道がじわじわと登っていたので今日は上がり下がりがそうきつくありません。

不思議なのは早くから土地であった場所のせいなのでしょうか、庶民の歴史が少ないような気がしてなりません。

早くから土地であったということで権力者が抑えていたということなのでしょうか。


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